1996年10号

「企業のグローバル化と国家・社会のあり方を考える」 研究委員会から

 難しい「グローバル化」の定義

 「グローバル」は今や挨拶代わりの言葉となっている。新聞、雑誌、どれを眺めてみても「グローバル」の文字が踊っていないものはない。「グローバル」なしでは夜も日も明けぬ といっていいくらいだ。

 1980年代の国民的キャッチフレーズは「国際化」だった。『日米経済摩擦の政治学』(1992年朝日新聞社刊、G.S.フクシマ著、氏は本研究委員会の委員でもある)のなかに「国際化」についての面 白い記述がある。曰く、まず、「国際化」とは多くの日本人が口にはするものの、ほとんどの人が理解しているとは思えない概念である。あえていうなら日本人の「国際化」とは、海外、特に西欧からのアイデアや物質的な対象を獲得することを意味しているに過ぎず、アイデア、時間、価値観、関心などを外国と与え合い、分かち合い、貢献しあっていくといった考え方が欠落しているとのことである。さらに、異質なものを取り入れ、その異質なものとの連帯感を本当に感じられるかどうかによって日本人の「国際化」が試されるのであると。

 ここで述べられている「国際化」を「グローバル化」と置き換えてみてもなんの違和感もない。つまり、我々は「グローバル化」をどういうものであるか理解せずに使い、漠然と海外から日本にとって有益なものを取り込むという意味あいでしか考えず、「グローバル化」が意味するところの異質なものとの連帯といったものを視野に入れていないことになる。

 「国際化」のまえの国民的キャッチフレーズは何だったかというと1970年、80年代の「海外進出」であろう。1970年代末の日本の海外直接投資額は50~60億ドル前後にすぎなかったが、1985年のプラザ合意後の円高の影響もあって1980年代後半の急進し、1989年度には675億ドルとわずか10年で10倍以上の伸びを記録した。バブル崩壊を契機に1990年から1992年度にかけて投資額は減ったものの1993年度から順次、増加に転じ1995年度435億ドルと回復基調にある。

 急激に海外投資を行った時代の「海外進出」「国際化」、落ち着きを取り戻した時代の「グローバル化」とならべてみると、どうもねっこは同じであって、海外に出ていって利益を持ち帰るといったイメージが浮かび上がる。しかし、それだけではなくて「グローバル化」の方が「海外進出」「国際化」よりも、なにか広い意味を持つようにも思える。

 アメリカでは「グローバル化」というと外国企業が米国に入ってきて事業を行うとか、逆に、米国企業が海外へ進出するといった国境をはさんだダイナミックな企業行動を連想するらしい。東南アジアの人々にとっての「グローバル化」とは日本などの先進工業国が自分の国に投資をしてくれて自国民を雇用し、技術を移転してくれるということであろう。日本にとっての「グローバル化」はやはり、東南アジア等に進出して利益を上げるといったイメージではなかろうか。

 いわゆる「グローバル化」の現象が、ここ数年の間に顕著になったという感じをもつ人は多い。しかしながらその現象を、(1)経済の開放度、(2)MNC(多国籍企業)及びTNC(超国家企業)の拡大、(3)金融の国際化に対する見方、(4)世界経済は一体化しつつあるか、の4点に分け、それらを歴史的に概観して、決して「グローバル化」のプロセスが近年目覚ましい勢いで進行しているとはいいがたいことを(財)国際投資貿易研究所の佃理事長が論証している(地球研ニュースレター1996年9月号、異見・グローバル経済論)。

 人により、国により「グローバル化」の意味、イメージが異なるのである。

 1996年1月に開催された第1回の「企業のグローバル化と国家・社会のあり方を考える」研究委員会はこの「グローバル」の概念をめぐって紛糾し、まことにエキサイティングな研究会の幕開けとなった。

 

 研究委員会の進め方

 本研究委員会は講演、討議を中心に月1回、2時間/回のセッションを1996年1月より12月まで合計12回の研究委員会を行い、1997年3月に報告書をまとめる予定である。第1回は研究委員会の進め方についての討議、第2、3回は石黒委員、斎藤委員等、大学教授による比較的アカデミックな面 から研究題目に取り組んだ。

 第4回から8回までは実業界からの委員、講師を中心に各産業におけるグローバル化の事例研究とその検討を行った。第9回から12回まではこれまでの理論検討、事例研究をもとに研究委員会の方向性を定めながら、まとめの検討、討議を行っていく。

 研究委員会から

 最近の研究委員会で、今年の1月にスイスのダボスで開かれたワールド・エコノミック・フォーラム(WEF)でのグローバリゼーションに関する議論の報告があったのでその一部を紹介したい。

 WEF、別名ダボス会議はヨーロッパを中心とする世界各国の経済人、政治家、学者1000人以上が集う権威あるフォーラムで、「メガコンぺティション」「グローバルガバナンス」など日本でもおなじみの流行語はこの会議から発信されたものである。

 ヨーロッパは今、EC統合への混迷、高まる失業率を背景に時代の閉塞感を強く感じている。「グローバル化」はリヨンサミットでも指摘されたように光と陰の両面 を持つ。ダボス会議では特にこの「グローバル化」の陰の部分に議論が集中した。

 「グローバル化」はヒト、モノ、カネの3つが市場原理に基づいて移動することといえよう。モノ、カネの国外流出は産業の空洞化を招く。モノ、カネの国内流入は自国産業の競争脱落を意味する。その中で企業は苛酷な市場原理に基づいて、リストラ、ダウンサイジングを推し進めていくであろう。

 また、ヒトの移動はヨーロッパの場合、東ヨーロッパ、ロシアからの難民流入の問題でもある。ヨーロッパ諸国は陸続きである。政治、経済体制の崩壊があれば難民は容易に発生し、より安全且つ豊かな国に流入するであろう。難民流入は失業率のさらなる増大、労働賃金の下落、福祉支出の増大を招く。それにヨーロッパ諸国は耐えられるであろうか。日本の経営者の中には「グローバル化」というと海外進出、業容拡大、利益増大などと単純にそのプラス面 ばかりを喧伝する人もいる。しかしそういう経営者達は例えば、中国から一千万単位 の経済難民が日本に流入してくる事態を想像できるであろうか。ヨーロッパではそれに等しい難民発生が生じる可能性が高いと見て、深刻に討議したのである。

 情容赦のない「グローバル化」は持続する。そのとき冷戦に勝利したかに見えた資本主義が、結果 として万人の幸福の為になっていくのだろうか。このような資本主義への懐疑が潜在的、顕在的に広がっている。しかしその答えが見いだせないために、欲求不満は更に大きくなっている。このような暗い状況認識のもとに、ダボス会議は開かれた。

 シュワップ博士(議長)は開会基調宣言の中で以下のように述べた。

  • 1970、80年代における政府と企業による“二重福祉構造”は終わりつつある。即ち政府の財政破綻(高齢化と益々わがままになる社会的欲求)、企業のリストラとダウンサイジング(競争激化)により、両者ともいわゆる“社会的責任執行能力”の低下に直面 している。個人も就業機会の縮小に直面している。

  • この将来に対する欲求不満、およびメガ・コンぺティションによって蒙った苦痛のスケープゴートに「グローバリゼーション」が挙げられ、「グローバリゼーションの勝ち組と負け組」という設定が行われつつある。しかし逃げるわけには行かず、ともかく対応(適応)する以外にない。

  • なぜならばグローバリゼーションに対立する動きとしていかなるものが想定されるかというと、それは孤立主義、原理主義、二国間主義、保護主義など利己主義の動きでしかないからである。ディス・インテグレーションを意味する利己主義への道はもはや取れない。

  • 苦しい道のりが続く。リエンジニアリング、即ち、政府、企業、個人の責任分担についての再定義が必要である。特にグローバル企業の社会的責任とは何かを問わねばならない。グローバルな企業はグローバルなシステムに寄与するものでなくてはならない。“creative impatience”(創造的不寛容の精神)が合言葉とならなければいけない。

 以上、シュワップ議長の基調宣言は重苦しく、アンニュイな時代の閉塞感に満ちたものだった。ダボス会議はヨーロッパの人々が中心のフォーラムであり、ヨーロッパ思考が色濃く出される点に特色がある。それにしてもアメリカ、日本、アセアン諸国等の「グローバル化」に対するナイーブな楽観主義とはおおきな隔たりがある。「グローバル化」の受けとめ方の違いを景気指標の善し悪しとかGNPの伸びなどを単純に反映したものと考えてよいものだろうか。ダボス会議の討議は我々が考えているよりも、より深い哲学的洞察力に裏打ちされているように思える。

(文責 事務局)

 

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