1997年1号

新世界システムへの知的貢献

 21世紀まで、あと4年を余すのみとなった。19世紀末も、いわゆる世紀末現象といわれたように停滞感と退廃的ムードが漂っていたが、20世紀末も、東西冷戦が終わりはしたが、新しい世界システムが見出せず、人々は不安感と閉塞感に包まれている。しかし、19世紀末には新興国アメリカが世界の桧舞台に飛び出す準備をしていたように、今では東アジア諸国が台頭期を迎えている。19世紀末には、第2の産業革命といわしめた石油を軸とした高度資本主義体制への助走期に入っていたように、今日は、第3の産業革命といわれる情報技術革新が新しい成長のサイクルを招こうとしている。

 21世紀は、こうした変化の変化の源流を大河につなげ、新しい時代を拓くに違いない。しかし、それは、これまでに我々の享受してきたシステムとはかなり違うものとなるはずである。

 情報技術革新は、多くの国の国力の平準化をもたらすに違いない。情報技術革命は、企業をして、「時間」、「距離」それに「場所」を超越させるものであるので、経済のボーダーレス化を促す。それと同時に、企業をコスト面 で有利な地域に移動させる力となって働くことになる。それは、とりもなおさず、成長の普遍化を意味し、所得の平準化を招くので、各国の国力は、接近してくることが当然の帰結である。

 世界が、そうした多極化した状態になるとすれば、世界の秩序を維持する核として、国連や国際司法裁判所、あるいは世界貿易機構(WTO)といった国際機関に期待が寄せられることになる。大国が存在しない以上、秩序の求心力を求めるとすれば、国際機関に頼るしかないからである。

 類似性をもった複数の国が連合体を作ることも考えられよう。世界の中で発言力を高めようとすれば、いくつかの国が集まった方が有利だからである。EUやNAFTA、あるいはアセアンなどは、その萌芽である。

 企業はまた世界市場において一層大きな存在となる。19世紀以来のナショナル・エコノミーでの活躍の場がボーダーレスに拡大されるとあれば、企業は、技術開発、雇用提供などの面 で、一層重要な存在となりそうである。

 都市の存在も飛躍的に大きなものとなろう。経済がボーダーレス化すれば人々の関心は軍事、政治よりも、文化、経済の分野へと移る。都市は、人々が最も密着している生活文化の担い手であり、都市がそうした生活文化の国際交流の推進役を果 たすことになる。最近の都市間の国際ネットワーク化はすでにそれを象徴している。

 非政府機関(NGO)も内外に活動の場を広げるに違いない。すでに核実験の廃止、地球環境の保全、貧困者の救済などでNGOの活躍は目覚ましいものがある。インターネットを活用して、NGOの国際ネットワーク化は急速に進み、国際社会で大きな発言力をもつことになると思われる。

 このように、国際社会が多元的な構造となり、しかも世界秩序に係わる活動主体が多様化するとなると、政治、経済の両面 を通じて世界が求心力を持続するためには、説得性の高い理念、哲学が欠かせない。それを見出すことが、世界における日本の信頼を取り戻す途である。

 21世紀の人類は、新たな地球的な課題の挑戦を受ける。人口爆発、食糧不安、地球環境の破壊、それにエネルギー不足といった問題である。我々はこれまで地球をいくら汚染してもそれは回復するものと思い込み、地球からいくら資源やエネルギーを投棄しても限界は表れないという前提で経済活動を続けてきた。しかし、今後は違う。

 地球上の人口は20世紀中に4倍にも増え、21世紀半ばには、それが今日のさらに2倍になるという。地球環境の負荷を減らすには、人口増加を抑制しなければならないが、それには、生活水準を高めることが経験上早道である。しかし、それは、エネルギー消費の増大となって、環境汚染を招く。

 今日の農業は、エネルギー依存度が高い。食糧不足を解消するために、農業生産を活発化すれば、エネルギー消費が増大し、地球温暖化や酸性雨の加速となって土壌の劣化を招く。

 私は、今日の地球が、この二つの悪魔のサイクルに陥っており、これから脱出することに学際的な地球上の英知を結集するこそ焦眉の急であると考えている。

 今年の12月には、京都で、地球温暖化防止枠組条約の第3回締約国会議(COP3)が開かれるがこの会議の成否は、私の問題設定に重要な関わり合いをもつ。アジア太平洋協力会議(APEC)も人口、食糧、エネルギー、環境といった地球問題への取り組みを強化していくであろう。民間ベースでも、企業、NGOなどを通 じて、さまざまな研究と技術開発が進むであろう。 我々としても、21世紀を目前に控えて、新しい世界システムの構築と地球的課題の解決に最大限の知的貢献を果 たさねばならない。

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