1997年1号

《新委員会紹介》 「市場経済のグローバル化のための新要素を 考える」研究委員会

 当研究所では96年11月より「市場経済のグローバル化のための新要素を考える」研究委員会を発足させたので、以下に概要を紹介する。

I .研究目的
 冷戦の終了後、旧社会主義国を含めて多くの国が市場経済体制に移行するなど市場経済のグローバル化が急速に進展したが、この結果 、同じ市場経済であっても、異なる制度を持った経済システムが存在することが認識されることになった。今後の世界経済を考えれば、異なる経済システム間、制度間競争がますます激しくなってくるものと思われる。

 こうした状況の下、先進国経済へのキャッチアップの時代の終わった日本には、経済システムとしての明確な目標は存在せず、構造的なひずみから閉塞感が強まっており、国内では構造改革や制度改革が声高に叫ばれている。また、グローバル化の進展に伴う制度の違いなどによる様々な問題も発生してきており、世界とのハーモナイゼーションをどうするかということも問題となってきている。

 本委員会では、市場を様々な制度の集合としてとらえ、主要な国の市場との比較により多様な制度の役割を明らかにするとともに、今後の市場システムの変革の可能性を検討することにより、日本経済の進むべき方向および国際システムのありかたを展望する。

II.研究項目(案)
1.主要な市場及びそれに関わる制度の実態とその役割

(1) 主要市場の制度的な相違およびそれぞれのメリット、デメリット
(2) 欧州、アジア、米国でのコーポレート・ガバナンスの比較研究

2.市場システムを新たな視点で見直し、効率的な経済運営を可能とするような制度的条件を検討

(1) 企業システム
(2) 企業とそのステークホルダーとの制度的関係
(3) 社会資本と制度の関係
(4) パブリック・セクターの役割

3.グローバル化の下での新しい国際ルール

(1) デファクト・ルールと制度の標準化
(2) 経済発展段階の違いをどう扱うか

III.研究委員会メンバー(五十音順、敬称略)
委員長 奥野 正寛 東京大学経済学部教授
委 員 安生 徹  (社)経済同友会常務理事
    池尾 和人 慶應義塾大学経済学部教授
    伊藤 秀史 大阪大学社会経済研究所助教授
    猪木 武徳 大阪大学経済学部長
    小島 明  日本経済新聞社論説副主幹
    竹中 平蔵 慶應義塾大学総合政策学部教授
    田中 俊郎 慶應義塾大学法学部教授
    柳川 範之 東京大学経済学部助教授

<研究委員会から>
『職場の機能と制度的インフラストラクチュア』
 第1回研究委員会では奥野委員長が問題提起として掲題にて報告をおこなった。以下はその要旨を事務局にてまとめたものである。

1.新古典派経済学と最近の経済学の市場像
 伝統的な経済学では、市場は情報が完全であるため裁定行為による一物一価の法則が成立し、超過需給に基づく価格調整により均衡は自動的に達成されるということと、完全な所有権制度とスポット市場を前提に交換取引は無償でエンフォースできるということが暗黙のうちに仮定されてきた。

 これに対して現実の経済取引では、取引相手の信用度はどれくらいか、契約が履行される保証は存在するか、できない場合事後的に再交渉の行われる可能性はあるかなどが問題となる。また、労働取引など継続的にサービスの提供と対価の支払いが行われるものや、投資活動のようにお金を先払いするもののあり、スポット取引と違って時間のずれなどの問題もあるが、こうしたことは伝統的な経済学ではあまり考慮されなかった。

 現実の経済システムは、無数の経済主体が無数の財を生産・分配・消費する複雑系システム(complex system)であり、経済活動をコーディネートするために様々な組織・制度・習慣などの仕組みが重要な役割を果 たしている。最近では市場をこれらの制度的仕組みの集合としてのシステムとしてとらえるべきだという認識が高まってきている。

2.競争市場の機能
 それでは市場はどういう役割を果たしているのかというと、伝統的に新古典派経済学では市場は効率的な資源配分に関して非常に有効であると考えていたが、最近では資源配分機能を以下のようにもう少し細かく分けて考えている。

(1) 資源配分機能

a. ディシプリン機能
 競争に勝つために費用を最小化し、利潤を最大化しなくてはいけないというインセンティブ。

b. 情報伝達機能
 どれくらいのコストで生産できるか、どれくらいのお金を支払ってもよいか等の情報が価格という情報伝達機関に集約されて伝達される。

c. コーディネーション機能
 基本的に経済活動は無数の経済主体が複雑な活動をしており、経済全体として整合的な活動にするためにはそれらの行動を調整する必要がある。
 また、市場は企業行動・組織形態に対する適切なインセンティブの提供という役割を果 たしており、さらに細かく分けると以下のようになる。

(2) インセンティブ機能

a. モチベーション機能
 準レント(ある財・サービスに関して短期的に需要が増えると、新しい企業が参入してくるまで、供給が限られているため大きな利潤が得られる)の獲得を目指した品質改善、新製品・組織開発など。

b. 評価機能
 企業活動、組織規律などを株式・債権価格、銀行審査などにより評価する。

c. コミットメント機能
 交換取引など合意の実現をコミットする。

 伝統的な経済学ではコーディネーション機能、インセンティブ機能は余り重視されてこなかったが、この部分が本当は重要なのではないだろうか。日本の場合はコーディネーションは割合うまくいっているが、モチベーション機能やコッミトメント機能が重要な問題であると思われる。

3.経済取引履行のシステム
 経済取引に関する事前の合意をどのようにしてインプリメントしていくかということが、市場の大きな役割であると考えているが、市場以外にも交換取引等の経済行為に関する事前の合意を履行する仕組みが存在する。そういう仕組みを大きく分けると以下の3つがある。

 これまでの経済学の理解では市場システムのみであったが、最近は市場システムと企業組織の両方を考えるようになってきている。さらに日本経済に関して考えれば共同体的組織という風なものを加えた方がいいのではないかと思われる。

(1) 市場システム(Market based transaction)

 取引や合意は基本的には自発的であること、1対1の取引を前提とし、標準化された制度のもとで行われる。

(2) 企業組織(Authority based transaction)

 典型的には企業の中で行われる労働サービスの提供のように、自発的に取引するのではなく、だれかが権限を持ち、それによりある経済行為を部下に強制する。しかし、それに伴う責任は強制した側に発生するというような形の権限と責任の仕組みを使って行われる。規模の経済性があり、複数の人が協力することが経済活動上有利となるというのがこの組織を使う理由である。制度の設計は個別 的に自由にできる。

(3) 共同体的組織(Trust based transaction)

 共同体のメンバーであることに基づいて信頼が発生し、それにより経済取引の合意の履行がインプリメントされる。なぜ信頼ができるかというと、コミュニティーの規範・習慣等を破った人はコミュニティーによって制裁されるので規範に従わざるを得ない。構成メンバーは組織と同じように固定されたメンバーであるが、長期的関係が暗黙の前提となっている点で異なる。きちんとした制度、民主的な制度ではなく、暗黙の慣行に基づくギブ・アンド・テークがオーバータイムで行わる。

4.「市場」システムによる経済取引
 理想的な形で起こる市場システムは書面で合意した契約を所有権制度に基づく権利と義務により履行するものである。それがうまく機能するためにはまず第1に、契約に係わる諸概念や契約を破った時の罰則など取引に関する概念を、広い意味での法制度によって標準化し、しかもそれを周知徹底する事が必要である。次に、万一契約に違反した場合に、それを摘発したり提訴するが、懲罰を与えるためには、裁判所等第三者機関による立証が必要になる。その上で立証されれば懲罰を付与する仕組みは国家が提供している。しかし、単に裁判所をつくればすべてうまくいくわけではなく、それに絡む制度的な背景がどうなっているかというのが非常に重要である。

 実際は第三者機関による立証というものができないケースも多い。立証可能性を高めるためには、会計・財務などの制度統一、挙証責任の配置など授権のあり方などが重要である。また、合意形成・履行のコストによっても履行の可能性が決まる。

 事後的に状況が変わり再交渉により新しい合意おこなうことが必要なケースも出てくるが、交渉が決裂したときの結果 が片一方に有利ならば、その人は大きな交渉力を持つことになる。再交渉がどのような場でどのような形でなされ、履行されるかも大きな問題である。

5.経済取引の外部環境
(1) 組織が関係する取引

 経済取引は、1対1で取引をしているというよりも経済取引の当事者は組織である可能性が高い。組織が関係する取引の場合には、当事者は1人ではなく複数であるのでその組織のコーポレート・ガバナンスのあり方が問題となる。コーポレート・ガバナンスというのは、企業組織のステークホルダーが持っている権限と責任の構造であるが、特に責任のところが重要である。責任は、・取引の権限と責任(会社法、商法、定款など)、・紛争が起こったときのステークホルダーに対する説明責任(会計制度、財務制度、人事制度など)、・予定しない事態が起こったときに結果 責任(株主代償訴訟、労働法、破産法など)の3つに分けることができる。

(2) 取引所などの「市場」

 取引所(業界)などで取引に影響を与える外部の存在がある。法律的には公正取引委員会が独占禁止法を使う場合などがある。法律で決まっていないものに関しては、業界団体の自主規制ルールなどがある。デファクト・ルールかルールを標準化するのがいいのか議論があるが、最初はどんなルールが一番適切なのかわからないので、ルール自体を競争させて、その上でデフアクト・ルールを見つけ、それを標準化するという考え方のほうが最近は強くなってきている。

(3) 政府規制

 政府規制の問題は規制自体が問題ではなく、官と民との間の交渉力の非対称性が問題であると考える。紛争や政府が無理矢理介入してきた場合、司法コスト、縄張りの存在、天下りなどにより民の交渉力が弱く、抵抗できない。交渉力の非対称性を改善するには、行政手続きの透明性、行政情報のアベイラビリティー、挙証責任の配置などが重要となってくる。

(4) 異なるシステム間の取引

 国際取引、例えば、日本の企業と米国の企業が取引する場合はそれぞれの国の仕組みが異なる者同士が取引をすることになるので、異なる国の間の制度をハーモナイズすることが必要となる。ハーモナイズすることのメリットは多くあるが、それに伴うコストも多い。

 一つは、経済システムは慣行、習慣も含めた様々な制度の集合であり、日本の経済システムと米国の経済システムはかなり違っているが、経済システム(資本主義)は多様な仕組みを許容している。また、制度間の補完性があるため一つの経済システムのなかではかなり同質的である。したがって、一つの制度だけハーモナイズするとその部分はいいが、システムとしてみると様々な問題が生じる可能性がある。

 もう一つは、ダイナミックに考えた場合、システムとしてどちらが良いか必ずしもわかっていない。すべての点で別 のシステムを凌駕しているのではなく、ある部分は一方のほうがいいが、別 の部分はもう一方のほうがいいという形になっている。したがって無理にハーモナイズしてしまうと長期的には良くないものを残してしまう可能性もある。現状良い仕組みでも、将来的には新しい技術や環境が生まれ悪くなってしまう可能性もある。そういう意味ではシステムを一方が良いからといって淘汰してしまうとは、新たな問題を生み出すかもしれない。

6.市場を構成するインフラストラクチュア
 市場の役割を考えていく上で注目すべき制度としては以下のようなものがある。

(1) 取引のあり方に関するもの
  a. 所有権制度(摘発、立証、懲罰を含む)

(2) コーポレート・ガバナンスに関するもの
  b. 会社法・商法・民法・・・株主など
  c. 労働関係規制・・・従業員など
  d. 金融関係規制・・・投資家、金融機関など

(3) 紛争処理制度
  e. 司法制度・労働紛争処理制度・破産法

(4) 立証可能性、責任説明に関するもの
  f. 会計制度・財務制度

(5) 業界問題に関するもの
  g. 事業者団体とその性格・独占禁止法

(6) 取引における政府関与に関するもの
  h. 政府規制と政府企業関係

(7) 国際調整に関するもの
  i. 税制、独占禁止法、規制、会計制度など

(文責:事務局 二谷)

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