2000年7号

日中の絆

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 昨年秋から中国との係わりを二つの場で持つことになった。一つは慶応大学と中国清華大学が進めているエネルギー・環境・経済を巡る共同研究プロジェクトであり、もう一つ は中国の環境と発展について中国政府に助言する国際委員会=チャイナ・カウンシルであ る。両者はそれぞれ別々の活動であるが、発展途上国中国が持続可能な経済・社会の発展を図っていくために日本や欧米の経験も参考にしつつ議論、研究しようという点で共通の目的を有している。

  十年ぶりに訪れた中国は開放・改革政策、社会主義市場経済の下でダイナミックな経済 発展を示しており、未だ発展の手掛かりをつかんでいないロシアを追い越すのは時間の問 題ではないかとも思われた。しかし、一方で発展に伴う環境汚染や格差の拡大、他方で市 場経済の形成、社会全体の近代化に不可欠な社会的インフラの未整備という大きな課題を 抱えていることを痛感した。

  慶応大学・清華大学の共同プロジェクトでは、中国のマクロ経済の展望の下に、1)すでに石油輸入国に転じた同国のエネルギー需給の動向とエネルギー使用の効率化及び環境負 荷の改善といったエネルギー、環境分野の問題とともに、2)市場経済のフレーム・ワーク ともいうべき各種経済法規、国有企業改革等に伴う企業管理、中小企業の発展政策等に関 する研究課題を設定している。

  いずれの研究課題も政策的、実践的性格を有するものであり、こうした課題に関連する 政策当局者、実務家、多数の研究者の参画と協力により、その政策課題が実現に近づくことを期待している。

  一方、チャイナ・カウンシルの活動は1992年のブラジルにおける地球サミット以降 開始され、既に活動の第二フェーズに入っている。昨年秋人民大会堂において朱鎔基首相 に手渡されたチャイナ・カウンシルとしての助言・提言は、経済計画、エネルギー選択、 農業開発戦略、貿易政策、都市計画、都市輸送等中国の経済社会のあらゆる側面 に係わるものであった。

  昭和30年代~40年代のわが国の状況について中国の関係者と議論した時、「・・・そう致しますと中国は日本に30~40年遅れているということでしょうか・・・」と尋ねられたので、私は「中国が最も進んだ側面 は日本とそれ程変わりありません。問題は中国には日本 の現代から数十年~百年が同居しているということではないでしょうか。」と答えた。

  中国をはじめ発展途上国社会の近代化、現代化への取組みを考えた場合、そこにはわが 国の場合に比べて一層複雑な状況を観察することができる。すなわち、わが国の場合には、 明治の殖産興業あるいは戦後の経済復興国際社会への参加に当たって段階的アプローチが 可能であった。岩倉使節団の訪欧・米や、戦後アメリカへの生産性向上視察等に当たって、 彼我の格差に圧倒されてもなお、当時の人々が、帰国後に対策の手順を考える連立方程式は今日程複雑なものではなかったかもしれない。しかし、今日、経済のグローバル化、情報社会の世界的進展は、発展途上国社会をこの渦中に直ちに巻き込み、必ずしも段階的ア プローチの余裕を与えてくれない。開放・改革、市場経済化を進めるに当たって中国の当事者がある種焦燥感に駆られるのもやむなしとするところである。

  この国土面積960万平方km、人口12億を要する大国の近代化、現代化の動きに世 界は無関心、無関係ではいられない。まして隣国日本において然りである。三月訪中時、 西安を去る日、かつて唐代の文物を求めて入唐した阿部仲麻呂が、「天の原ふりさけ見れば 春日なる三笠の山に出でし月かも」と詠った同じ月が天空に輝き、日中の長い絆と歴史の変遷を改めて感じた次第である。

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