2001年6号

IPCC第3次評価報告書の 作成作業を顧みて

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 去る9月29日の土曜日夕刻、ロンドン郊外ウェンブレーで開催された第18回IPCC総会における第3次評価報告書総論(TAR Synthesis Report)の予定通り順調な採択によって、地球温暖化問題関連の延べ数千人の科学者、専門家を動員し、3年間以上をかけた国際的大作業が一段落した。最終段階のまとめの議論が、恒例の深夜会合に縺れ込むこともなく比較的スムーズに終了したのは、実質的中身は今春行われた一連の作業グループ最終会合までに十分な議論が尽くされ、議事運営についても周到な準備がされていたという理由と共に、各国政府代表や関係専門家の関心は本年7月のCOP6再開会合の結論を踏まえつつ次のステップへ移っていた為と考えられる。次のステップが如何に展開するかは、IPCCの専門家達の意向と並んで、今やそれ以上にIPCCプロセスを支える各国政府と国際機関さらには各種NGOの思惑に左右されよう。

 IPCCの理念は国際的第一線の専門家による地球温暖化問題に関する最新の科学的知見の集大成と中立客観的な総合的分析評価を通じて、政策立案と意志決定に、余計な介入をすることなく、適切な材料を提供すること(Policy
Relevant but not Policy Prescriptive)とされている。しかし、この10数年間の3次に及ぶ評価報告書の作成過程を振り返ると、IPCCの存在意義は、政府間パネルという名称が示唆するごとくむしろ科学と政治、国際的専門家集団と政策決定者の間の複雑微妙な緊張関係の上に立脚しているのが実態であろう。特に、1990年以来ほぼ5年毎にまとめられた3つのIPCC報告書が、同様の内容を少しづつ深めながら、地球温暖化問題に関る国際交渉をリオ・サミット以来節目節目で支え、議論のための「科学的根拠」作りに大きく貢献してきた事実と、国際交渉が京都議定書の批准とその後の国際展開、アメリカ合衆国の対応、中国、インドや中南米諸国の意味ある参加等を巡って大きく動き始めた事実とを考え合わせると、IPCCも次のステップについては、従来路線の延長繰り返しでは済まされず、政治的な利害と駆引きが絡んだ様々な思惑が動き始めて当然であろう。我が国もいよいよ地球温暖化の問題が観念論でなく、現実の経済社会活動の厳しい制約となり得ると共に、技術革新と経済社会の変革を通じて国際的比較優位を獲得する機会となり得る重要な局面に直面している。地球温暖化ガスの濃度を現在の2倍程度までの比較的気候変動への影響が限られたレベルで安定化させるためには、温暖化ガスの排出量を長期的には現在日本が約束している6%の削減率に対して地球全体平均でその10倍位は減らさなければならないのである。日本のためにも世界のためにも、是非新しい大きな構想力を持って国内外の英知を最大限活用して次のステップに取り組んで欲しい。

 この観点から是非強調したいのは、我が国における地球環境問題の知識基盤の抜本的強化の必要性である。既に国内の一部の研究所や大学においては、この分野の世界的に優れた研究が断片的に行われており、中でも、気候変動メカニズムの解明や温暖化ガス排出量変化のシミュレーション・モデル分析の成果がIPCCの報告書でも大いに活用されている。しかし、幅と奥行きのある研究成果を集約して国際的な政策に関る説得的なメッセージとして発信していく力は、オランダやカナダに比べても弱すぎると言わざるを得ない。特に社会科学分野の研究の層を厚くし、自然科学の成果も踏まえた地球温暖化関連政策の総合的な分析評価能力を産学政官の連携の下に大幅に強化する必要性が高い。グローバル化と情報化がさらに進む21世紀の国際秩序形成の力の源は、軍事力や経済力以上に説得力のある魅力的な情報発信力であり、公正かつ透明なプロセスを通じて客観性と専門性の高い知識を結集して国際合意を形成していく力であると言われて久しいだけに、この事を強調しておきたい。

 この3年間、IPCC副議長として、大学や財団の仕事の間を縫って、20回以上、世界各地で行われたIPCC関連会合に出席し、様々な専門家と地球環境問題が持つ多様性、複雑性についてじっくり話し合う貴重な機会を得た。最近の1年間は、3つの作業グループの最終報告書をまとめる議論と平行して、膨大な作業成果を政策責任者や一般の人達に分かり易く読んでもらうための報告書総論作りにCore
Coordinating Authorとして参加して長時間の国際電話会議も含め忙しい時期を過ごした。総合報告書の作成で全体として特に配慮したのは、人為的影響による地球温暖化の進展の現状と今後の見通しを、選択肢も含めて、出来るだけ客観的に分かり易く伝える事であった。特に、未来に関るシミュレーション結果や選択肢の説明は主観の入り込み易い分野であり、議論の多い分野であった。さらに多くの議論が費されたのは人間活動の辿る経済社会発展経路と自然の気候システムの変化との複雑な相互関係の全体像を出来るだけ総合的かつ簡潔に伝えるという基本課題であり、その為の説明図は最後まで何度も書き換えられた。この分野の今後の重要課題として、人間活動と地球環境の相互関係を百年単位の持続可能な発展経路として評価していく上では、地球規模での産業や消費のあり方とそれを支える文化や価値の共通性と多元性について根源的な考察が不可欠であるが、欧米の世界観、自然観を超えた新たな展望を開くためには、特に「地球産業文化研究」のような大きな視点に立った日本やアジアの貢献に大いに期待したい。筆者としては、報告書総論は議論に議論を重ねた末、全体として比較的読み易く、内容的にも優れたものが出来たと自賛しているが、報告書の末尾にまとめて記されているごとく、次のステップへ向けて多くの重要な不確実性と課題を残していることも確かである。

 最後に、日本から、ほとんど手弁当同然で延々と続く議論に参加され、多数の文献を精査し、作業グループ報告書の重要章を執筆する労をとられた専門家の方々に、数々の貴重な御教示へのお礼も含め、深甚の敬意と感謝の意を表させて頂き、雑駁な回顧としたい。

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