2002年3号

貧困とガバナンス

2003-011

 今年の8~9月に開かれるヨハネスブルグの「持続可能な開発に関する世界首脳会議」は、10年前の地球サミットが採択した「アジェンダ21」の実施状況を検証し、今後の戦略を決めようとしている。この行動計画は、貧困、飢餓、疾病などの問題を国際協調で解決する道筋を示していた。今年3月には、メキシコで国連開発資金会議が開かれ、途上国の貧困問題、先進国からの資金供給、南北問題への総合的方策をまとめた合意文書を発表した。これより先に、世界銀行は、1990年と2000年の開発報告書で貧困を取り上げ、その削減が開発の最重要課題であるとした。後の報告書では、90年代を通して経済のグローバル化の進展が貧困削減の機会をもたらすと同時に、地域紛争の発生、市場経済の浸透による南北間、途上国内部での貧富の格差の拡大が起こっているとした。95年に国連主催のコペンハーゲン社会開発サミットでは、全世界からの貧困の解消を「人類の成し遂げるべき倫理的、社会的、政治的、経済的な課題」とした。国連開発計画は90年から毎年、「人間開発報告書」を刊行し、人間開発指数、人間貧困指数という概念を提示し、従来の「一人当たり国民総生産」指標から、人の寿命、識字率、人並みの生活水準(保健医療、安全な飲料水等へのアクセス)という人間生活の3つの基本的必要をとり入れた。

 ここで貧困の定義であるが、先の国連開発計画のものと、世銀の購買力平価でみた一日一米ドル未満の所得層とするもの、人間の基本的ニーズ(衣食住のほかに精神的充足まで含むものもある)の未充足状態、さらに、人間の潜在能力向上の機会の剥奪状態を強調するものがある。世銀の一日一ドル未満層を基準にすると、世界人口61億中13億が貧困層に入る。次に、社会階層間の所得(および資産)、分配の格差が社会的安定に重大な意味をもつが、手元に信頼に足る最新のデータがない。各国の所得層を5つの階層に分けて上層の20%と下層の40%への所得配分率をみると、インドネシアでは、1990年に上層が下層の2.03倍であり、これは76年時の3.43倍よりは改善している。マレーシアでは、89年には4.16倍であった。南米諸国ではこの格差が非常に大きい。

 では、貧困・貧富の格差は何故起こったのか。国レベルでの貧困をみる場合に、歴史的要因(植民地支配の遺制)、高人口成長率、自然条件・資源不足などがあげられるが、最も基本的要因は、政治権力の性格と経済運営能力の不足、別の表現をすればガバナンスの欠如である。ガバナンスとは何か。抽象的には、効率性、実効性、公平性の実現であり、それを担保する透明性、説明責任性、民主的コントロールを指すが、より具体的には、投資優先順位の決定、資源の配分における全員参加型決定と自主管理能力を指す。法の支配、分権化、腐敗からの自由、貧困層への機会提供、セーフティー・ネットの提供、エンパワーメントなどもこれに含まれる。ガバナンスの良いところでは、本来、貧困も貧富の格差も起こりにくい。起こっても、改善が早いはずである。

  貧困および貧富の格差は、社会的にどういう影響を及ぼすであろうか。貧困層による抗議運動や農民一揆に結びつく歴史的事例もあるが、「9月11日」の同時多発テロのようなテロ活動と直接連動するか否かについては疑問がある。貧困とテロを結びつける環に参加型民主主義を内容とするガバナンスの欠如あるいは悪さがあるように思われる(高橋一生氏)。

  最後に、貧困削減への取り組みをみてみよう。92年の地球サミットは、「貧困と戦うことはすべての国が共有すべき責任」であるとしたが、第一義的な責任は貧困者をかかえる国にあるはずである。その国の自助努力が求められ、何よりも貧困を削減しないまでも悪化させぬようなガバナンスの改善が必要である。この上に、地球的なグローバル・ガバナンスの一環としての国際協力が成立しうる。

 国連のミレニアムサミットでは、2015年迄に貧困人口の半減をうたった。その目標達成に現在の世界の公的援助の倍増が求められた。その財源をめぐって、為替税、炭素税、地球宝くじなどの提案が出されたが、日米の反対で実現をみなかったといわれる。ともあれ、どの様な貧困削減策であっても、それが実効性をもつ為には、強い政治指導力、論理矛盾のない政策、実施機関の能力強化、それに潜在的受益者自身の実施に向けての積極的かつ継続的な参加、適切な政策環境の5点が密接に関連してくることになろう。

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