2007年5号

多文化共生と安全・安心の両立

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 9月上旬、私はカタールの首都ドーハを訪れた。中東イスラム圏からの英語による発信として注目を集めるアルジャジーラテレビの番組に、出演を依頼されたためである。
 石油や天然ガス収入で潤うこの国は、すさまじい建設ラッシュで、一週間見ないでいると高層ビルの街並みが変わってしまうと現地の人は説明してくれたが、誇張ではなさそうである。では、誰がカタールの目を見張るような活力を支えているのであろうか。
 一人当たりGDPが4万6千ドル強という世界一の金持ち国カタールの住民は、人口の4割だけがカタール人で、残りはさまざまな国からカタールに働きに来ている外国人である。ホテルのレストランや建設工事現場で働いているのはインド、パキスタン、イラン、スリランカ、フィリピン、ネパールなどからの労働者である。こうしたブルーカラーが外国からの出稼ぎ労働者であることは予想していたが、私が驚いたのはホワイトカラーも殆ど外国人という事実である。
 私が接したアルジャジーラのプロデューサーはカナダ人で、ディレクターはシンガポール人、メイクを担当したのはイギリス人であった。私の滞在が短かかったとはいえ、カタールの地に父祖の代から住んでいる生粋のカタール人と呼ばれる人々と言葉を交わすチャンスは一度もなかった。
 価値観や勤労観、ライフスタイルなどが大きく異なる多様な人々が人口の6割を占めてこの国の繁栄を支えている今日のカタールは、表面的には多文化共生社会のひとつのモデルのようにみえる。
 しかし、さまざまな国から来ている人々が、民族や文化的背景の違いを超えてカタール人と帰属意識や責任感を共有して共生社会を作っているようには見えなかった。
 現在のところカタールが極めて良好な治安を維持しているのは、犯罪行為に対する処罰が厳しく、刑務所での処遇がひどいものであることが抑止力となっているからだという。しかし、こうした統制や管理の下で外国人労働者を客人扱いするやり方が、いつまでもうまく機能するものか疑問である。カタールをはじめ多くの外国人が暮らす国々の状況と将来の日本の姿を重ね合わせると、検討すべき課題が浮かび上がってくるように思えてくる。
 人口の2割が外国人というスイスでは、刑務所の受刑者の7割が外国人であるように、多数の外国人が暮らすヨーロッパ諸国のなかには、外国人犯罪者の増加に悩まされている国もある。刑務所が定員を大幅に超えて収容しているイギリスでも、受刑者の7人にひとりは外国人という現状に、政府は「税金の無駄遣いをしている」と野党の厳しい批判にさらされている。
 われわれは「表」の世界におけるグローバル化だけに目を向けがちだが、犯罪と犯罪者のグローバル化が一歩先んじている現実がある。今日、東京の留置場に収容されている者の3割は外国人であり、女性に限ってみると、日本人よりも外国人のほうが多い。私は受刑者調査の結果を基に、『外国人犯罪者―彼らは何を考えているのか』(中公新書)を8月に上梓したが、国民が求める安全・安心と多文化共生を両立させるために、ホンネの議論を始める必要があると考えている。
 同質性を好む傾向の強い日本人のメンタリティは、今日のところ多文化共生社会を歓迎するムードにはなっていない。しかし、人口減少による労働力不足の結果、早晩日本に多くの外国人を迎え入れることになるのは必至と思われる。そうした暁に、外国人排斥感情が高まるような事態は絶対に避けなければならないのだが、このままでは心配な点も少なくない。
 国民の間には体感治安の悪化と犯罪不安の高まりがみられ、それと表裏の関係にある安全・安心に対する強い要求がある。われわれはそうした不安感に対して、わかりやすい原因を求めて不安感を正当化する傾向がある。そこで外国人犯罪者が格好のスケープゴートにされているようにみえる。世論調査でも、回答者の最も多くが、治安が悪くなった原因を「来日外国人による犯罪の増加」と答えている。
 多文化共生社会は、対応を誤ると民族間の偏見や対立などを生むという大きなリスクがある一方、多様なひとびとが責任ある一員として互いに関わりあうことにより、社会全体が活性化し発展するという大きなメリットもある。マリア・テレジア時代のウイーンでは多様な言語で教科書を作って多文化共生に対応し、世界の中心として飛躍的に発展し繁栄を遂げたという。日本も、きれいごとではない共生の意味や方法を考える時期に来ていると思う。

 

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