2011年1号

モノづくりを超えて価値づくりを目指そうへ

fukukawa

 最近、日本では将来に対する悲観的な論調が多い。政府の政策力の低下と企業の活力の停滞からなかなかデフレを脱却できず、加えて人口減少と高齢化の進行、それに財政構造の悪化という構造問題を抱えて長期的な成長力が脆弱となっているからである。  日本は、20世紀後半にはモノづくりの優秀さを誇り、高い成長を実現してきた。1979年にはハーバート大学のエズラ・ボーゲル教授が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という著書を出版したし、1980年代に日米間で貿易摩擦が激しかった頃に米国では「米国にとっての脅威はソ連の軍事力と日本の経済力だ」とさえ言われた経験を持つ。

 ところが、21世紀に入って、鉄鋼、テレビ、パソコンなど伝統的な工業製品の生産では軒並み中国にトップの座を奪われた。さらに中国は自動車の需要と生産で世界のトップに躍り出たばかりか、電気自動車などの最新技術商品の生産さえ行うようになっている。
 LEDや3Dの分野では日本は技術的には先行していたが、そのモノづくりとなると韓国や台湾の企業に先を越されている。それは1997年にアジア通貨危機で苦悩した韓国が官民一体となって産業の国際競争力強化に努めた成果なのである。
 加えて、日本は人気商品であるiPhone, iPod, iPadなどの開発では米国に追いつけず、開発はおろか、部品供給でも先細りとなっている。

 私は、日本産業の停滞の原因が1980年代後半にあったと考えている。当時、日本産業は絶好調で、経済界は自身に溢れ、「もはや欧米から学ぶものは何もない」という経営者さえあった。そのおごりが日本産業のイノベイション力を弱めたのである。しかし、今からかつてのようなモノづくりに回帰しようとしてもその成功を期待できない。日本産業が努力すべき方向は、知的活動を背景にした「価値づくり」にあるというのが私の考えである。
 1990年代以降、電子通信情報技術(ICT)の進歩を背景に、産業のイノベイションの形態が「プロダクトアウト」から「マーケットイン」へと移っていた。前者は、供給者たる企業が新技術や新製品を開発し、その産品をマス広告によって市場に大量に供給するものであり、後者は、企業が消費者のニーズに即して製品やサービスを開発する供給体制である。日本産業はこのトレンドに乗り遅れた。携帯電話などの過剰な機能や品質が「ガラパゴス現象」の典型例といわれるように、消費者が何を求めているかの探求が日本企業に欠けていたのである。
 世界市場では、グローバリゼイションのもとで大競争が展開されている。そこでは、価格、数量、機能のみならず、魅力、品格、優美などの感性価値に競争の重点が移っている。情報主導の経済ではモノ主導のそれと異なり、選択の主導権が需要者にあり、これがこうした傾向を招いたのである。

 価値のなかでも感性価値がとりわけ重要になる。その感性価値は、極めて多様である。精神的充足を満たす文化価値、自己の資質を高める教養価値、効率とゆとりを重視する時間価値、健全な身体と精神を追求する健康価値、自然環境を尊重する自然価値、商品、サービスなどをめぐる安全、安心価値などがそれである。
 日本企業、とりわけ技術者は、「いいものを作れば売れるはずだ」と考え勝ちであるが、今や市場が何を求めているか、マーケットインの立場に立って「価値づくり」の戦略を立案しなければならない。
 高度技術は、これまではプロダクトアウトの立場に立って産業の国際競争力の強化に貢献してきた。しかし、今や21世紀が人間価値重視の時代に移りつつあることを考えると、高度技術は、人間生活の質の向上と人間機能の高度化に向けられなければならない。

 ICTの進歩は、バーチャル技術でアナログに負けない感性的表現を可能にし、技術と芸術、産業と文化の相乗発展の可能性を高めている。消費者は、自動車、家電製品、家具、住宅などの選択に当ってデザインの優劣などの文化性を重視し、アニメなどのコンテンツの新しい文化表現に感心を持つ。ファッションもますます多様になっている。
 医療の分野でも、管理、検査、手術などの高度化と効率化を可能にし、介護の分野でも介護支援、機能回復、セラピーなどで高度技術が活躍するようになっている。
 高度技術を「価値づくり」に活用することこそ、今後の日本産業が目指すべき方向なのである。

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