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1994年4月号

歴史の類推・・二つの戦後

香西 泰
(財)地球産業文化研究所
地球産業文化委員会委員
(社)日本経済研究センター理事長


 冷戦終結後最近までの内外情勢を見ると、第1次大戦後の状況と似ているような気がしてならない。単純な歴史の類推は危険であるが、そのことは承知の上で、あえて二つの戦後比較論を試みよう。

 第1次大戦中、欧米列強が戦いに明け暮れている間に、日本は海外貿易を大幅に伸ばし外貨を蓄積して、一挙に世界の一等国、債権国にのし上がった。冷戦中は各国が戦火を交えないまでも軍備増強に精力を費やしているすきに日本は経済の発展につとめ、先進国、債権国の一角に食い込んだ。

 第1次大戦が終わると列強は経済復興に力を入れ、戦時中異常に膨張した日本産業は整理合理化の時代を迎える。その苦境に輪をかけたのはアジアの工業化が進展したことで、当時の主力産業である紡績業はインド、中国の繊維産業との競争にも直面 した。低賃金労働力を求めて中国大陸に工場を建設した紡績業者(在華紡)も多く、その中国民族資本、および日本国内の紡績業者との競争、摩擦も厳しかった。そして冷戦終結後の今、日本産業はアメリカ産業の競争力回復と東アジアの工業化の急進展に狭撃され、空洞化の危険に直面 し、産業調整を迫られている。

 第1次大戦の開始に際して金本位 制は停止され、変動相場となった。円は戦前の平価を下回ったが、産業の競争力との対比でいえば戦争中の外貨蓄積によってむしろ割高に推移し、戦時中発展した重化学工業は欧米との競争に苦しんだ。いまもこれまでの黒字の累積から投資収益が増加し、経常収支黒字が減りにくい形となっており、産業調整圧力を加重している。

 経済発展に投機が加わり、第1次大戦中に株価が暴騰し、成金が続出した。冷戦中も株価は右上がりの上昇を続け、ついに80年代後半にはバブルを現出するまでになった。こうした異常事態は何時までもは続き得ない。大戦終了後および冷戦終結後に株価の大暴落が生じた。第1次大戦時には戦争終了で一時株価上昇に水が差されたが、これを比較的短期に乗り越えると、後は天井知らずの暴騰になり、2年後にピークを打つ。代表銘柄の東証株は5分の1になり、制度が変わって同株がなくなるまで、ついに元の水準を回復するに至らなかった。80年代においてもオクトーバー・クラッシュで一度冷え掛かった投機が、短期の調整を難なく乗り越えるや後は天馬空を行くがごとき熱狂相場となり、2年後の89年に天井を打つ。細かいところまで歴史は繰り返している。

 株価下落は金融機構の脆弱化をもたらし、大正後半から昭和初期にかけて、取付け、銀行倒産、金融恐慌が繰り返された。いまも金融機関の不良債権問題が景気の足を引張っている。

 大正7年の米騒動は、農業生産力の停滞から需給が不均衡になって起きたもので、以後政府は米の自給から外米依存に政策を切替えた。今年も平成米騒動といわれる米不足の中で自給政策は崩壊し、輸入米依存への扉が開かれた。

 第1次大戦後は悪いことだけであったのではない。政党政治は憲政の常道に沿って発展し、軍縮が進められ、大正デモクラシーは根を下ろしたように見えた。高等教育が大拡張され、サラリーマンは文化住宅、文化生活を満喫し、モダン・ボーイ、モダン・ガールのかっ歩する都市が発展した。しかし政党政治の利権争奪は激しく、その腐敗が民心を離反させた。

 しかし第1次大戦後に起きたこと、そしてこれから起きるかもしれないことで、どうにか起きてほしくないことが四つある。一つは関東大震災だ。地震は自然現象で人間の力では防ぎ得ない。しかしその被害を少なくするために我々はなすべきことを十分しているだろうか。

 あとの三つはもっぱら人間の知恵の問題だが、一つは不況の底割れ、恐慌の再来、二つは政党政治の堕落だ。そして最後に日本の国際的孤立への転落開始である。日本は一等国としてベルサイユ平和会議、ワシントン会議に参加し、国際連盟の重要メンバーとして活躍し始めた。しかしその一方で革命ソ連の内部混乱によって北方からの脅威が減少した機会に明治以来の外交の機軸であった日英同盟を廃棄し(これはアメリカの要求でもあったが)、移民問題で米国と激しく感情的に対立、特殊権益を維持・拡大しようとして中国との対立を深める至る。すぐにではないがそれが日本の国際的孤立  そしてついには戦争への第一歩となった。いまの日本も冷戦終結で共産主義の脅威を感じることがなくなり、アメリカと経済摩擦を深めている。しかし国際的孤立の経験だけは何としても繰り返したくないものだ。こんどこそ日本は世界の指導国家としての責任を果 たしたいものである。