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1995年5月号

第4回「中国の行方と日本の戦略」研究委員会から
「台湾政党政治の形成とその意味」

東京大学教養学部教授
若林正丈


1.台湾政党政治の制度的状況

 台湾の政治は、現在政党政治の視点から見ていくことが有効になりつつある。

 最初に、台湾政党政治の制度的環境がどのようになってきたか、確認したいと思う。

 民主化以前の台湾のアンシャンレジームは、国民党の一党支配体制であった。野党の存在を認めないことが、政治体制の組織的な特徴であり、民主化は、国民党の一党支配体制が崩れるということだった。

 1986年9月に、長期戒厳令はまだ施行中であったが、最初の野党である民主進歩党の結成が容認された。戒厳令は翌年の7月1日をもって解除されるが、法律上、政党政治を容認する法制化が行われなければならず、蒋経国の死去というようなこともあり大分ずれ込むが、1989年1月に人民団体組織法の改正が行われた。また、公職選挙罷免法という法律があるが、その改正等が行われ政党を認める法制化が進んでいった。実質上の野党が存在する選挙は1986年の暮れから始まっていたが、1989年暮れに行われた立法院等の選挙が、法律で野党が認められた状況のもとで始めての選挙となった。

 とはいえ、その時の国会は、まだ非改選議員が存在している国会であった。万年議員については、1990年の夏に憲法解釈の形で1991年末をもって退職することが決まり、実際に解消したのは1991年の暮れになった。

 その年には憲法の修正が行われて、いわゆる中華民国憲法の枠内で、台湾でまた新たに国会をつくっていいという一応の形づけが行われ、政党政治の舞台が整った。

 もう一つ重要なのは、言論の自由の問題である。1989年初頭に法制化された法律においては、国土の分裂を主張してはならず、台湾独立を提唱した場合には、政党の解散を含む処分があり得ると言われていた。それに野党は強く反発して紛争の種となっていた。1991年になり、それは改正されていないが、中国共産党との内戦期にできたスパイを取り締まる条例とか、反乱を取り締まる条例が廃棄された。さらに刑法100 条には、言論でも反乱罪に問えるという条項があったが、その言論反乱罪条項が廃棄された。

 これらによって、台湾の政治のアンシャンレジームにとって最大の反対言論である台湾独立という主張が、言論は無罪になったわけである。政党あるいは各政治勢力がイデオロギー的な主張をできる環境になり、そういうイデオロギーを軸とした政党のラインナップが見やすい状況になった。

2.台湾政治体制の民主化と政党制

 以上のような政党政治の舞台が大体出そろってきたのが、1991年の秋ぐらいだと思う。政党制を形づくるのは政党の数とイデオロギーだという議論があるが、通 常イデオロギーと言った場合には、これは左右のイデオロギーである。しかしながら、この左右のイデオロギーの軸は台湾では極めて未発達である。図1は、台湾の政治において一番明確な統一か独立かのイデオロギーを軸に単純化している。

 1991年の春に国民党(KMT)は李登輝総統のイニシアチブで国家統一綱領をつくったが、その年の秋に民主進歩党(DDP)はそれに対する反発もあり、国民投票(レファレンダム)をやって台湾独立が選択されるのであれば、主権独立の台湾共和国の樹立を目指すという、いわゆる公民投票型台湾独立をついに綱領に入れた。台湾独立という、それまで一生懸命避けていた事を入れたわけだが、図1はその直後の状況である。一番独立に近い方には長い間海外に本拠をおいていた台湾独立連盟があって、この頃、盛んに禁を侵して台湾の中に入って定着させようという運動をしていた。また、台湾の前途は台湾住民によって決定されるべきだ、ということを主張する民主進歩党がいた。国民党は、中央は1981年の十二全大会で「三民主義による中国統一」というスローガンを揚げており、1991年には、まだどういう位 置づけで台湾海峡両岸関係を考えるか、明白な形にしていなかったので、このスローガンで代表することにすると、図1のような状況にあったわけである。図2は、その2年後くらいの状況である。一つには、政党制にとって一番重要なことだが、民主化が進んでくると、どこでも大体起こることであるが、分裂を起こしてくる。場合によっては自由化に踏み切る時に分裂するかもしれないが、その後、ある程度の自由化をすることでアンシャンレジームの解体を食い止める人と、やはり民主化にいかざるお得ないという判断をするような人と、両方出てくるわけである。私の判断では、台湾ではいわゆる限定的自由化でとどめるべきだという保守的自由改革派と、民主改革をやるべきだという民主改革派への分裂が、李登輝氏の権力を巡って、1990年の春に始まったと理解している。具体的には、李登輝氏が前任者の蒋経国氏の残された任期を終わって、次の任期に出ようという時の選挙を巡って起こったのであるが、その時、主流派、非主流派の闘争が起こる。

 李登輝氏の言論を見てみると、いわゆる万年国会の解消については、1989年中は非常に保守的なことを言っている。ところが、1989年の選挙が終わって、さらに、これは世論を味方にできると判断したのだと思うが、1990年の春に一応国民党のロジックで、旧体制のロジックで、保守派が文句を言えないような手続きで総統に再度選ばれた以降は、憲政改革、要するに憲法までいじって民主改革をやってしまうということをはっきり言い出したわけである。これは、もちろん野党から見れば大変不満な改革であるが、アンシャンレジームから見れば、これは大逆無道なことであると思う。李登輝氏の意識では、多分これはクーデターをやったつもりではないかと思う。

 主流派、非主流の闘争にはいろいろな対決場面 があったわけだが、1992年の末に、立法院という国会の全面改正があり、その結果 かく柏村という外省人の軍人首相をおろして、連戦という台湾籍の首相を任命することができた。これによって、重要な権力を持っているポストを巡る主流派、非主流派の角逐は、主流派の勝利に終わったということができる。この時、台湾籍の人間が初めて行政院長になり、国民党中央秘書長も初めて台湾本省人になった。これらによって国民党の台湾化が非常に進み、いわば括弧 つきの台湾国民党になっていった。

 この余波の一つに、立法院に籍を持っていた若手の論客6人が、国民党を飛び出して新党(C.KMT)を結成したことがある。反李登輝の人は、特に外省籍の方が多いが、6名中1人が本省人である。

 その時の状況が図2である。これは台湾国民党という、台湾の動向をほとんど左右できるような大きな組織の権力が台湾化したことと相まって、幾つかの側面 でその国民党が出している政策とか、国民統合のための物の言い方、レトリックというものに、台湾本位 の物の考え方が準体制化して定着したということである。アンシャンレジームのもとでは台湾本位 のような考え方を示唆しただけで政治犯になったわけだが、今では国民党の主席である総統が言っている状況になった。

 例えば、「生命共同体」論や国連参加の議論がそれである。

 図の中では、そういうことを反映させて、T.KMTという。要するに台湾化した国民党という意味だが、それが大体真ん中に来ているということである。また、軸の真ん中が、独立の方にちょっと寄っていることにご注意いただきたい。それから、統一、独立のイデオロギーの幅が縮んでいることにもご注意いただきたいと思う。実際は複雑で、実は独立はもっと統一の方に寄っているのではないかと思うが、もう一つにやはり1980年代から活動している民進党のエリートが、民主化の進展と台湾人総統に李登輝氏が出てきて、いわゆる台湾シンボルを自分のところにさらっていくわけである。けれども、そういう事をとるとなかなか対応できなくて、この統一、独立のイデオロギーの面 で、エリート層の穏健化を若干感じている。例えば将来、総統選挙をやる。しかし当選しても、我々は中華民国総統として就職するというふうなことを言ったりしている。その背景には、何回世論調査をやっても、台湾独立賛成という項目がじりじり増えてはいるが、劇的に増えることはなく、常に最大多数は現状維持なわけである。それが選挙の票にも反映されており、当選しても中華民国総統になるとか、台湾は事実上独立しているのだから「台湾独立」を余り言わなくてもいいとか、そのような調整が始まっている。その一方において台湾独立連盟が事実上、民主進歩党の一つの派閥に取り込まれるという現象がある。このように台湾独立を標榜した政党が中心に寄っていくと、普通 考えられるのはファンダメンタリストは党を出るのが通常のパターンだが、余りまだそんな感じはしていない。そうしたファンダメンタリストはいることはいるが、多くはないようだ。軸が短くなって、中心が独立の方に寄っていく、というのはこのような意味である。

それから、新党(C.KMT)があるが、統独のイデオロギーの上では、新党はアンシャンレジームのレトリックをほぼ忠実に使って、そのアンシャンレジームのレトリックに、歴史的にアイデンティティを感ずる層の票を最大限かき集めようとしている。つまり、いわゆる中華民国が中国の政党だというイデオロギーの中で教育を受けて、そのまま信じているというか、それで違和感を感じない外省人の層である。それとごく一部、なんの歴史観もない若い台湾人が、この軸の上で見ると大体新党の支持者だと思う。

3.1994年地方選挙の意義

 以上のような政党のラインナップで昨年末の台湾省長、台北市長、高雄市長選挙及び省議会、台北市議会、高雄市議会の選挙が行われた。今後の政治が絡んで一番重要なことは、もちろん民主進歩党の候補が台北市長になったというのは重要なことだが、当選した陳水扁氏が、民進党エリートの穏健化に沿って、余り「独立」を正面 に出さないでキャンペーンをやって成功したということである。彼は「希望の都市、楽しい市民」というスローガンでやって、新党の方は盛んに、いわゆる統独論争で相手を暴力集団とイメージづけることによって自分の居を固めようとしてきたが、それはのらずに勝ったわけである。それで票を食われたのは国民党の方だった。伝統のレトリックからいうと、新党の方が理屈が通 っているから、歴史観のない若者はみんなそっちに行くわけである。

 もう一つ重要だと思うのは、台湾省長の選挙で、国民党が推した外省人で現職の宋楚瑜氏が民進党に対して147 万票という差をつけて勝ったことである。これは誰も予想していなかったことで、これだけの差をつけて国民党が勝てた、しかも、それは小さい選挙区ではなく、大きい選挙区で勝てたということに大変大きな意義がある。やはり行政系統を中心とした新しい選挙マシンを、宋楚瑜氏が操作するのに成功したということだと思う。今後余り時間がたち過ぎると、宋楚瑜氏の方が李登輝首相を凌駕することがあり得るが、総統選挙のタイミングは来年なので、そこまではいかないだろう。ということは、宋楚瑜氏が勝ったこの選挙マシンは李登輝氏の選挙に使えるということで、つまり李登輝氏か李登輝氏が推した候補は、ほぼ勝つことが決まったと言っていいのではないかと思う。

 よって、中国が一番嫌っている大っぴらに台湾独立を言うことはないと思われる。香港の返還を含む1997年までどうかは分からないが、ほぼその辺までの両岸関係の政治的なこれ以上の緊張は、先に進み過ぎかも知れないが、この選挙から見ると余りないのではないかと感じる。

 もう一つは、台北市議会(52 議席) だが、国民党が17も減らして20、台湾省議会を見ても分かるが、国民党は減っている。これは国民党の選挙に出てくる候補者の質の悪さと腐敗等がずっと存在しており、ますます選挙においては厳しく問われている状況がある。国民党の民意セクターの衰弱は、甚だしいものであると私は考えている。

 新党が、やはり外省人が多いところなので11、民進党が18となり、国民党が過半数をとれない。民進党も市長はとったが、議会では過半数をとれない。三つの勢力のうちの二つが連合すれば過半数をとることができるのだが、単独ではどうにもならない状況が台北市議会である。今年の末に立法院選挙があるが、その選挙を経て、今日の台北市議会が明日の立法院になる可能性があると思う。国民党は現在、必死にイメージの良い候補者を何とか立てたいとしているが、うまくいくかどうかは分からない。

 それがなぜ重大かというと、台湾の憲法の規定では、首相の任命はもちろん総統がするが、正式な任命は、首相が指名した候補に対して立法院が同意しなければならない。ということは、何らかの過半数のコアリションを組めば、行政のトップの座をコントロールできるわけである。そういう連合政治づくりの政局が、この台北市議会の様相から始まっている。始まってはいるが、実際にはどういう連合にしたらいいのか、全くまだ分かっていない状況である。ただ、これは遅かれ早かれやって来るだろうと思う。大きい場面 の選挙では、やはり国民党が強いので、総統は国民党の候補者になる。しかし、議会では国民党は衰退していくので、行政権は連合政権的な様相になる可能性が高いというのが、現在見通 せる、あり得る結果と考えてよいかと思う。

4.今後の展望

 台湾政治の民主化の過程は、昨年の選挙が第2段階で、最終段階は総統選挙を平穏にできるかどうかということだと思う。

 省長選挙も大変な権力の再配分であるから、それがいろいろな欠点はあれ、一応は平穏に終わり、その意味ではまた平和的な漸進的民主化の山を一つ超えて、総統選挙も平穏に行い得る展望が出てきたということである。そうなると、やはり民主的な手続きで権力が再編されてくるから、台湾自信では手続き的に大変正統性の高い政府ができてくる。何回もそういう投票行動、権力の行方を決める投票行動に参加することによって、有権者が一つの政治体を形成する一種の共同体を構成しているという感じが、だんだん出てきていると言えるだろうと思う。言ってみれば、台湾の選挙は国づくり選挙なわけである。「国」は、国際法的な国家と考えなければそれでいいのだが、そういう意味合いを持つ選挙がまた一つ行われたと言うことである。

 今後、台湾という政党制を持った政治実態の存在自体、国際社会の中でどう遇するのかという問題は、避けて通 れない問題ではないかと思う。

 選挙で、いわゆる政治共同体という意味での国はつくれる。きちんと選挙すれば、カンボジアのようなところでは国際社会に祝福されるが、台湾の場合は誰も祝福しないで、選挙をしても国際社会での地位 はそのままでは与えられないことになっている。私は外部正当性と言っているが、それが自動的には与えられないという状況にある。にもかかわらず、内部正当性は強くなっており、カンボジアより余程しっかりしている。

 もう一つ、今でも経済的にはますます華南、華中経済と結合しつつあるが、一方でとにかく当面 は、一緒になるのは御免だということがある。選挙を積み重ねていくと、とりあえず内部的な凝集性は出てきているわけで、経済的な関係を通 じて往来はますます頻繁で密接だが、やはり共産党のいうような一国家二制度を受け入れて、それを前提に交渉するという方向には行っていない。

 とはいえ、分かれていくベクトルだけなのかというと、必ずしもそうではなくて、やはり経済的には結びついていっている。結びつきつつ自分がのみ込まれては困るわけなので、一歩先んじたい。独自の存在を持ちながら、政治的な結合の仕方について交渉しなければならない時期を迎えたということだと思う。この現れが、正月に台湾の行政院が承認したアジア・太平洋オペレーション・センター構想であり、これは、もう一つの台湾の東アジアにおける経済的な地位 をレベルアップしていきたいということである。

 今、日本では、いわゆる直交がこれで実現する話しか出ていないが、全体的な哲学が、政治的な話、結合の話をしなければならない時に、経済的にはいっそう自立していたいということではないかと、私は考えている。