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1995年11月号

慶州の教訓

(財)地球産業文化研究所文化委員長
東京大学 名誉教授
木村尚三郎


 本年九月末、サントリー文化財団の御好意で韓国の慶州(キョンジュ)を訪れる機会を得た。新羅発祥の地であるとともに新羅の首府だったところであり、釜山から北100キロ足らずの地点に位 置している。

 訪れてみれば実に静かな田園都市であり、まさに古都の名にふさわしい。新羅が仏教国だっただけに、慶州には仏国寺その他のいい寺が古墳と共に点在し、自然環境と人間の営みがみごとな調和を保っている。そして、西方の百済の首府扶余(プーヨー)の場合と同じく、周囲の山々には奈良を思わせる穏やかなたたずまいがある。

 とここまでは、何となく想像と違わずといったところであったが、アッと驚かされたのがガソリンスタンドの屋根である。黒瓦の、寺と同じく美しい反りの、立派な屋根がついていたからである。改めて気がついて見れば、ガソリンスタンドだけではない。高速道路の料金所もモダンな鉄筋コンクリートのビルも、そして農家も、建造物の屋根という屋根がすべて、美しい反りの黒瓦である。これには正直なところ、一驚を禁じえなかった。町全体が、歴史都市の装いに貫かれているのである。

 そこには、これからの時代を生きる貴重な示唆が、いくつか含まれている。慶州には、最近は日本からも高校生が修学旅行に沢山やってくるという。もちろん九州・沖縄や中国・関西地方にとっては、「近い」という利点があるからであろうが、それだけではないはずである。慶州が四季を問わず、内外の沢山の観光客を惹きつけるのは、現代が、そして二十一世紀が、「歴史の時代」だからである。

 技術文明が大枠において成熟してしまったために、人々は誰もが、よりよい生き方、より確かな経済繁栄を求めて必死である。そのために、誰もがもっとよく知りたい、もっと頭が良くなりたいと思っている。そのもっと良く知りたい、「もっと頭が良くなりたい」社会こそが、情報化社会であり、そのための産業こそが情報産業である。

 なぜなら、「情報」と訳されるインフォーメーションの本義は、フォーム(形)という言葉が内に含まれているところから分かるように、(形のないものを、意味のある)「形にする」ということである。たとえば、現在の気圧何ヘクトパスカル、温度何度、湿度何パーセント、風速何メートルといったデータをもとに、「明日は晴れるでしょう」「明日は雨になるでしょう」といった、意味のある形にまとめることこそ、本当のインフォーメーションである。

 いま流行のインターネットで得られるのは、情報のカケラ、データのみである。半月後に世界のどこかで戦争なり紛争なりが発生するか否か、これからの本当の幸せは宇宙産業にあるのか、農業の見直しにあるのか、そのどちらでもなくて愛にあるのか、などということはインターネットでは得られない。半世紀後の中国が、三十年後の日本がどうなっているのか、どうすればいいのかも、インターネットは答えない。

 技術文明が成熟し、進歩が止まり、未来の姿が捉え難くなった今日、世界中の人々が直接の出会いに知恵を求め、過去の経験に知恵を求めて動く。二十一世紀はしたがって、世界大移動時代、世界大交流時代である。その交流の場が都市であり、知恵を汲み出す泉が歴史である。したがって、二十一世紀は、「都市の時代」であり、「歴史の時代」である、ということになる。

 また、したがって、歴史に生きる都市、歴史を生かす都市は、二十一世紀には強い。そこにこそ人は集まり、新しい繁栄と活力が約束される。現に1994年において、国際会議開催件数ナンバー・ワンはパリであり、ロンドン、ウィーンが二位 、三位を占めている(UAI国際団体統計調べ、国際観光振興会マンスリー、1995年8月号による)。いずれも歴史都市、すなわち歴史を世界に向けて生かした、美しい都市である。

 わが国政府は景気回復に向けて、空前の規模の公共投資を決めたところであるが、問題はその中身ということになる。世界大移動時代、大交流時代に向けて、二十四時間稼働の巨大ハブ空港を、いわば緊急避難的・超法規的に、二つないし三つ全力傾けて可能な限り早く作り上げる。そして、日本の諸都市を見た目に美しく、歩いて快適な、食べて美味しい歴史都市に作り変えていく。

 このような「歴史を生かす」文化・精神運動こそが、近世ヨーロッパのルネサンスであった。ルネサンスとは掘り起こし、復活、再生の意味がある。現代はまさに、セカンド・ルネサンスのときといっていい。

 慶州は、実に貴重な、現代の人にとっての教訓を示しつづけていた。