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1998年2月号

REVIEW

日本人と核兵器
-1962年のキューバ事件の教訓-

杏林大学教授
元軍縮代表部大使
今井隆吉


 非核三原則があり、核兵器廃絶を訴える等、多くの日本人が核に強い関心を持っている。最近では環境を放射線から護る意識が世間に徹底して、世界の環境グループの中でも気を吐いている。それでいて、一体核兵器とはどんな物か、冷戦が終わった今日どういう具体的手続きを経たら世界の核兵器の減少が可能かと言った点では歯痒いほどの物知らずが大部分である。核兵器反対も単なるお題目になってしまうのではないか心配になる。

 冷戦の50年を通 じて米ソが核戦争の瀬戸際まで行ったのは1962年のキューバ核ミサイル事件だと誰の見解も一致している。最近になって当時の外交文書が公開され、旧ソ連のKGB, GRU, 外務省などとワシントンのやりとりの詳細が明らかにされ、米ソ双方で当時の直接の政府当事者が重い口を開くようになり、あの「核の瀬戸際」がどんな事だったのかが次第に明らかになり、10日30日の月曜日朝、予定どうりアメリカ空軍がサンクリストバルの核ミサイル基地を空襲し、米海兵隊がグアンタナモ海岸に敵前上陸を敢行していたらソ連側は短距離戦術核で迎え撃ち、史上初の核白兵戦になるところだった。カストロ首相は中距離核ミサイルでアメリカの東部の都市と中西部の戦略核ミサイルに対して先制攻撃をすべしと強く主張していた。当時のマクナマラ国防長官とはこの数年私はいろいろなセミナーで一緒になるが、キューバ海岸で核の白兵戦は全く予期していなかった由で、アメリカは当然ソ連本土に戦略核で報復し世界は本格的な核の世界大戦に突入したはずだと言う。日曜の夜遅くになってトルコに展開しているアメリカのJupiter核ミサイルの撤去を(公表はしないが)固く約束して、フルシチョフ書記長はキューバの核を撤収し、アメリカは海上封鎖を解き、今後キューバを侵略しないことで手打ちができた。マクナマラ氏があの日曜の夕方ホワイトハウスに入る時に夕焼けを眺めて「これでワシントンも見納めで明日は核ミサイルが飛び交って世界の終わりかと思った」としみじみ述懐したことがある。

 どれだけの核兵器がキューバに配備されたかは冷戦後に当事者が集まって話し合うまでアメリカは知らなかった。R-12 (SS-4) ミサイル( 射程1700km,弾頭1 Mt.)が36基、これがワシントン市まで届く。射程がその2倍で同じく1 Mt弾頭のR-14 (SS-5)が24基、12 Kt.の爆弾を積んだイリューシン28 中型爆撃機が42機、12Kt.の弾頭を付けた巡航ミサイルFKR 6基、2kt 弾頭の lunaミサイル12基、核魚雷を積んだ潜水艦6 隻など、当時のソ連が持つ主要核兵器を総動員してキューバの要塞化を図ったことになる。なお,KtはTNT火薬にして千トンの爆発力で、広島に使われたのが13Kt, 1Mt.は Ktの千倍、つまり百万トンである。1962年10月にキューバに集まっていた核兵器の破壊力は総計80Mt以上、第二次大戦で連合軍が使った爆弾の総計の約20倍である。アメリカの情報網は10月15日のU-2偵察飛行まで気がつかなかった。当時は米ソ共に人工衛星による電子的な監視の技術はまだなく、スパイが聞き込んでくる話、米ソ共に意図的に情報を洩らす「裏口(backchannel)」以外に相手の真意が判らないのだからケネディ大統領がミサイル発見のTV演説をしてから2週間、米ソの決着が付く29 日までお互いに暗中模索だった。

 1962年と言えばアメリカが初期のMinuteman大陸間弾道ミサイル(1Mt弾頭)の配備を初め、海には各800 Kt 弾頭のPolaris潜水艦が動き出した頃であり、米ソ共に核砲弾、核地雷、核爆弾等を戦場で使い、きのこ雲の中を歩兵が吶喊すると言った戦術が公式に採用されていた時代である。フルシチョフ書記長がこれだけの核をキューバに揃えて見せたのは、アメリカ本土を攻撃できる核兵器の数をアメリカがソ連に対する核と同等にすると言う戦略上の配慮が強かったが、同時に核戦争の概念、核抑止の理論などはまだ生まれておらず、今から思えば手探り状態であった。それよりも、本来は共産主義者でないカストロの革命直後の混乱につけ込んで、西半球に初めて社会主義国家の橋頭堡を作ったからにはアメリカの侵略からキューバを護る道義的義務を強く感じていたもようである。

 1962年のキューバの物語は甚だ複雑であり、登場人物もここで簡単にスケッチしたよりも遥かに多い。最大の教訓は核兵器を口にして脅しをかけるのと違って、実際に核兵器が相対峙していざ核戦争という段階になると、職業軍人はともかく、責任ある政治指導者は何とかして政治的な解決を必死に模索するものだと両国が納得したことである。あれから35年以上、米ソ超大国はそのような手に汗を握る経験を経て核時代を生き延びてきたことになる。日本人が同じ経験をしないで済んだことは幸いであるが、同時に核兵器を論じるに当たって「臨場感」に欠け、他人を説得する力を持たぬ ことも否めない。日本核武装論が中国や朝鮮半島で取り沙汰され、日本人にとっては心外の極みであるが、一般 論として否定するだけでは外国人を納得させられないこともまた事実である。国際的な舞台では自分が納得しているだけでは他国を説得できない。これは軍縮についても、環境についても同じく我々が肝に銘じるべきポイントであろう。