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1999年8月号

OPINION

逆近代化

―開放系から閉鎖系へのシステム回帰―

ソニー株式会社 顧問 愛甲次郎

 歴史は循環的要素と直進的要素から合成されたスパイラル構造をなしている。循環は変動期と安定期の繰り返しが基本的パターンになっている。変動期には開放系システム(例:ローマ共和制末期までの地中海世界、地理上の発見以降の世界システム)が支配的になり、安定期には閉鎖系システム(例:鎖国下の日本、インカ帝国)が優勢になる。

 開放系のシステムでは自由、平等、進歩等の観念が支配的となり、閉鎖系のシステムでは秩序、権威、安定等が支配的となる。それらは相互に親和性をもっており、それぞれのシステムは社会の成員がそれ特有の価値観念を共有する場合、良く機能する。それぞれが機能する条件だが、開放系のシステムがうまく機能するためには、生産要素が無限に供給されるということが必要である。つまり、開放系システムはシステム自体が増大していく過程でよりよく機能する。いろいろな問題が発生しても成長の中で吸収される。このシステムにとっての基本的問題は生産要素の供給の限界である。それに対して、閉鎖的システムというのは、むしろスタンド・スティルの状態のほうがうまくいく。これを破壊する要因は内からのものと外からのものと二つある。システム内部に変化エネルギーが蓄積されるとこれによってシステム自体が破壊される可能性がある。従って変化エネルギーがたまらないように、原子炉の制御棒のような緩衝装置が必要となってくる。例えば、中国の科挙の制度の狙いは野心的で有能な若いエネルギーを試験勉強に浪費させることにあった。一方、閉鎖系システムは外部からのインパクトに対しては極めて弱い。ピサロによるインカ帝国の征服とか北方騎馬民族と中原の漢民族との関係とかはその好例である。

 現代はこのモデルでいうとどの位 置にあるかというと、ヨーロッパの中世が巨大な閉鎖系システムであったとすると、それが開放系のシステムに置き換えられたものである。その閉鎖系システムから開放系システムへの移行がいわゆる近代化である。近代化は市民革命、産業革命によって完成されたが、それは政治・経済のみならず社会の広い領域にわたって進められた。経済でいうと近代化というのはアダム・スミス流のレッセ・フェールの市場経済。政治では議会制民主政治および近代的民族国家である。法律でいうと所有権の絶対と契約自由の原則が確立していくのが近代である。これらに共通 する基盤となるイデオロギーは予定調和の考え方である。つまり、システムの各部分が個々の立場の最適を自由に追求していくと、結果 として全体の最適が実現されるという楽観主義である。この立場にたてばトータルの立場から個を調整しようというものは悪である。その最たるものは王権である。だが、そういう考え方はヨーロッパでは支配的にはなったもののついに徹底することはなかった。それを100%純粋培養するのに成功したのが米国である。

 システムを決めるのは人間の活動領域(ニッチ)が飽和状態にあるか否かである。あるニッチが飽和するまでは開放系システムでいけるが、そのニッチが飽和すると開放系システムは維持できなくなり、閉鎖系システムに移行することとなる。長い歴史のスパンで見れば、現代はそういう時点にさしかかっている。つまり我々は今や逆近代化の時代に入ってきている。客観的な条件は地球規模で飽和状態となり、閉鎖系システムに移行しなければならないという段階にきているにもかかわらず、我々が持っているこれまでの制度はそう簡単に開放系システムから閉鎖系システムに変えることができないため、様々な機能不全が発生している。そう考えると、世界中で我々が今日抱えている問題は殆ど説明できる。

 一見開放化は一層進んでいるかのようであるが、大局的に見れば閉鎖系への動き、クロージング・ザ・サークルは不可避である。問題は我々がそのプロセスを主体的にマネージできるか否かである。これはまた地球研にとっての課題でもあろう。