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2000年11月号

OPINION

炭素税の是非を巡る
いくつかの論点


京都大学経済学部教授

佐和 隆光


 炭素税制の導入がにわかに現実味を帯びるようになってきた。なぜ今、炭素税なのかと いうと、まず何よりも、ドイツ、フランス、イギリス、イタリアというサミット4カ国が、 相次いで導入のスケジュールを公表したためであろう。各種世論調査によると、炭素税導 入に賛成する企業や個人が予想外に多いこともまた、炭素税導入の追い風となっている。

 炭素含有量に応じて化石燃料に課税するのが炭素税制である。炭素税がいかほどの税収 になるのかというと、炭素1トン当たり1万円の税率で課税すると、ガソリンの値上がり 幅は1リットル当たり約7円だが、税収は総額約3兆円にもなる。何のために炭素税を導 入するのかと経済学者に尋ねると、化石燃料の消費を抑制し、二酸化炭素排出量 を削減するためである、との答えが返ってくる。しかし、税制の専門家は、税源が安定しない(徐々に先細ってゆく)ような税は、税として有資格ではないと言う。

 たとえば、酒やタバコにはかなり重い税が課せられている。飲酒や喫煙が悪いことだか ら、酒やタバコに課税されていると思われがちだが、酒とタバコが課税対象とされるのは、 いずれも中毒性があるため、課税により値段が上がったからといって、節酒、節煙をうな がし、目に見えてそれらの消費が、したがって税収が減るということがありえないからで ある。酒とタバコは税源として安定しているからこそ、ほとんどの国が酒税とタバコ税を導入しているのである。イギリスは来年4月から炭素税の導入を予定しているが、その名 称が気候変動課徴金(Climate Change Levy)であるのは、上記のような税の理論を前提と すれば、なるほど尤もなことだとうなずける。

 炭素税の経済影響を論じる際に、炭素税制を導入すれば、国内総生産の成長率(経済成 長率)が下がるという人が少なくない。もしそれがマクロ経済モデルによるシミュレーシ ョン結果に基づくのだとすれば、そのような結論が導かれるのはモデルの「癖」ゆえのことである。モデルとは、経済のメカニズム(仕組み)に関する「仮説」の表現にすぎない のだから、モデル・シミュレーションの結果は、設けられた「仮説」に決定的に依存する。 どんな仮説を設けるかによって、結果は白とも黒ともなりうるのである。

 それでは、何のためにモデル分析をやるのかというと、それは仮説を取り替えれば、結果 がどう違ってくるのかを見るため、そして論理的な整合性のあるシナリオを書くためで ある。モデル・シミュレーションと現実をあたかも同一視するかのような言説は、まるでSF小説を現実と取り違えるに等しい錯覚以外の何物でもない。

 炭素税の経済影響は、産業と企業をウィナー(勝者)とルーザー(敗者)に分かつことにある。最大のルーザーは紛れもなく石炭産業である。最大のウィナ―はと言えば、それ は低燃費車の開発に成功した自動車メーカーだろう。石炭が輸出の10%を占めるオーストラリアが温暖化対策に消極的なのはよくわかる。石炭産業がほとんど消滅してしまった日本は、最大のルーザーが不在だという意味で、温暖化対策の最もやりやすい国の一つである。総じて言えば、鉄鋼、窯業、化学などのエネルギー多消費型産業は、税の負担が重い分、それだけ生産コストが高くなり、国際競争力が低下するという意味で、いずれもルー ザー産業である。これらルーザー産業に対して、炭素税の免税措置を講じている国が多い のは、社会的公正の観点から、ルーザーのロスを最小限に食い止めるためである。

 炭素税制の導入は化石燃料の価格を人為的に引き上げるから、省エネルギー技術の開発 を促進し、低燃費車や省電力設計の家庭電化製品の普及をうながすという効果 を見落とし てはならない。エネルギー需要の価格弾力性は低い(エネルギー価格が上がっても、需要 はそんなには減らない)から、炭素税が化石燃料消費を抑制する効果は乏しいという向き が少なくない。短期的には、確かにそのとおりである。ガソリンや電力は、酒やタバコと 同じように、値段が急に高くなったからといって、すぐさま消費量を抑えるわけにはゆか ない。しかし、3〜5年たって、新しい自動車や家電製品に買い換える際に、低燃費車や省電力設計の機器が選好されるはずである。したがって、中長期的に見れば、エネルギー 需要の価格弾力性は決して低くないのである。

 そしてもう一つ、炭素税を課することのアナウンスメント効果も馬鹿にはならない。ガ ソリンを買うたびに、炭素税のことを想い起こして、二酸化炭素の排出を抑制・削減する ことの必要性を消費者に痛感してもらえば、エネルギー多消費のライフスタイルの自主的な見直しがすすむはずである。一般 に、アナウンスメント効果というものは、税率の高低 にあまり関係がないはずだから、比較的低率の炭素税からスタートしてみて、それがもたらすアナウンスメント効果 の程を推し量ってみてはいかがなものか。