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2004年 1号

Opinion
「企業の価値と責任」

(財)地球産業文化研究所

顧問 福川伸次


 最近、企業の社会的役割をめぐって、その価値と責任を問い直す議論が高まっている。その中心をなす企業の統治(コーポレート・ガバナンス)と社会的責任の論議は、株主利益の極大化を目指す米国流の資本主義運営がエンロン社などの不正経理事件を招いたことがその直接のきっかけである。一方、欧州では、かねてから、企業が社会に存在する組織体として、社会との相互連環作用によって、両者の持続的発展を図る論理体系を構築しようという気運が強かった。

 日本でも、企業の社会的役割或いは社会的責任をめぐる議論は、時代とともに変化してきた。先ず戦後復興から高度成長の時代には、企業による生産力の拡大と雇用機会の提供、そして生活水準の向上につながる経済成長の担い手としての期待が強かった。

 そして高度成長を達成した1970年代から80年代にかけては、人々は生活における量的拡大から質的な充実を求めるようになり、水俣病やイタイイタイ病などに象徴される公害問題や危険商品の販売などをめぐって烈しい企業批判が巻き起った。

 バブルの時代には、企業は、拝金主義とまでいわれる利益追求に走り、株や土地への投機に狂奔、経営幹部まで巻き込む企業犯罪にまで発展した。

 そして、90年代から21世紀にかけては、グローバリゼイションとIT革命から経営改革が叫ばれ、同時に国際的な動きとして地球環境の保全に向けた対応に関心が向けられるようになった。企業は、情報革命の旗手としての役割が期待されるとともに、株主とステークホルダーの利益の調和、さらには、自然の保全、人権の尊重などの役割が求められるようになった。

 私は、企業の社会的役割は、3つに集約できると考えている。第1は、経済利益の追求である。株主利益、ステークホルダーの利益、そして企業の内部蓄積の充実を図るために、経営者は企業の収益力を向上させなければならない。そのために、企業はITを活用してその戦略計画を高度化するとともに、需要把握、商品開発、生産活動、資材調達、流通輸送、アフターサービスなどを効率化する必要がある。

 同時に、社外役員制度、取締役と執行役員の機能の分離、カンパニー制度の採用など経営管理を改革し、或いは企業間組織についても、提携、合併、テイクオーバー、アウトソーシングを展開にも努力するようになった。新技術の開発やリスク・マネージメントも収益性確保の重要な手段である。

 第2は、人間価値の実現に貢献することである。それは、ひとつには、顧客に表れる。高度消費社会における顧客は、文化、教養、健康、環境、安全、安心などの価値を求めている。企業は、これに応えなければならない。

 もう一つは、社員の求めるものである。社員は、企業から適正な評価を受けたいと思うし、参加意識も求めるであろう。生活の充実、男女無差別、社会貢献、自己向上という価値も求めている。

 第3は、社会価値を維持することである。それは、社会の秩序を保ち、持続性を高めることにつながるものである。法令の遵守を始め、情報公開による透明性の確保を図るとともに、地域社会への貢献やメセナ活動の充実などがこれにあたる。

 とりわけ地球環境の保全の要請が高い。地球環境の破壊は、人類の生存を危うくする程深刻となっている。そこで、企業は、二酸化炭素の排出削減や省エネルギーに自主的に取り組むほか、ISO14000シリーズの取得、環境会計の導入、環境報告書の作成など、自主的な評価と行動を充実させている。さらに進んで、資材調達のグリーン化や金融、資本市場のグリーン化につながる社会責任投資の動きも活発になっている。

 さて、このような企業の価値と責任の実践は、結局において企業の持続的発展につながり、企業ブランドの向上をもたらすものである。同時に企業リスクの低減にも役立つし、優秀な人材を集めることにもなる。企業統治の改革や社会的責任の実践は、コストではなく、投資であると捉えるべきものなのである。

 最近、国際機関や欧州などでは、これらの改革を標準化しようとする動きがある。こうした動きに遅れると、日本が不利な立場に立たされることになる。日本としても企業の価値と責任の議論を深め、日本の特色を活かした企業統治と社会的責任を発言し、国際的なプロセスに積極的に参加すべきである。