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2009年 4号
Opinion
環境問題をめぐる3つの対立軸

慶應義塾大学教授  黒川行治


 私の研究課題の一つに「排出量取引の会計測定」がある。このテーマは、(財)地球産業文化研究所が2000年度に設置した「排出削減における会計および認定問題研究委員会」に、委員長であった公認会計士の(故)井上壽枝先生から議論に参加するようにお誘いを受けたことに始まる。当時、日本と中国政府の合意による「アジア経済構造改革等支援」事業の9つのプロジェクトが、北京の清華大学と慶應義塾大学をプラットフォームとして進行しており、私は「中国企業管理研究」プロジェクトの主査として、中国に環境会計実践の種を蒔くことを目標に、委員の井上壽枝先生とともに、上海電力等に環境会計の理論を紹介し、実践を促す努力を一緒にしていて意気投合したのである。上海電力では、12基ある石炭発電所で、脱硫装置を付けている発電設備は皆無であった。

 温室効果ガス削減を含む地球環境保全問題は、さまざまな対立を含んでいることから人間の英知が試されている。第1は、地域間の対立である。先進国と途上国の地球環境資源を巡る配分の対立であり、国際間の南北格差問題や国内の都市と地方との格差問題と軌を一にしている。中国での環境会計普及活動では、中国の人々から「19世紀以降とくに20世紀に先進国が環境資源の恵みを享受したのであるから、21世紀は途上国がその恵みを享受する権利がある」とする反論がなされた。それに対して、「先進国は環境に関する科学や社会的価値観の未発達から対応を誤ったのであり、人類として同じ過ちをしないで欲しい」と懇請するのが常であった。これは、10年経過した現在でも変わっていない。

 第2は、世代間の対立である。現在の世代が自己の効用を増大させるために地球環境資源をどれだけ費消し、どれだけを後世の世代に残しておくかの問題である。後世の世代として何世代を想定するかを考え出すと悲観的になる。日本では奈良や京都を中心に、いたるところに1000年以上前から続く寺院等が現存しており、それらに身近に接することで、日本文化の継承、先祖からの血統の継承を確認しており、それを外挿して1000年以上の子孫の存続に疑問をもつことは少ないのではないか。しかし、地球温暖化の予想は高々100年後までしか行われていない。しかもこのままの経済成長、エネルギー消費が続くと、100年先の人類への温暖化の影響は甚大であるという。

 世代間の対立は、1000年を超えるタームを念頭におくと、個体としての人間の幸福と種の継続・繁栄という人類の存在の対立となる。1000年以上も未来を想像することは難しい。私は映画が好きなので、SF映画で描かれる未来を参考に想像することが多いが悲観的になる。「銀河鉄道999」は、個としての永遠の命を求め部分ごとに臓器を機械化していく機械人間の世界が、果たして幸せなのか否かが主題の一つである。「マトリックス」では、人類は実物世界では生活していない。脳に直結するコンピュータの中のバーチャル世界で個としての生活体験を認識している。

 第3は、文明に対する価値観の対立である。物質的豊かさとそれを効率的に社会全体に普及するシステムの構築が普遍的な文明の進歩とする価値観と、アーミッシュのように近代的発明品を用いず、精神世界の豊かさに価値を見いだすものもある。また、短絡的な解釈だが、個体のもつ価値観の総体である文化の多様な発展、価値観の多様性こそ世界全体の安定にとって重要と考える「文化相対主義」と、物質文明の豊さを主として前提に、文化の発展段階には普遍性があるとする「文化普遍主義」の対立がある。文化普遍主義は科学の進歩、人類の未来を楽観的に考える傾向があり、また世界の単一化、標準化を目指すものとも言えよう。

 地球の半径は6378キロメートル、人類を含む生物はその表面10キロメートル、地球の薄皮に生息している。地球の寿命や変遷を思えば、人類の危機と思える100年の大気の成分変化や化石燃料の埋蔵量減少は、存在するものとしての地球にとっては瞬きの中で生じることであり、死活問題ではない。コスモス(調和する存在としての宇宙)を想い、それを仮に「神」という人間の言葉で表現するならば、地球表面上のパラサイトが大騒ぎをしつつ、解決できないでいるのを「神」は俯瞰していることであろう。「2001年宇宙の旅」における神と人類との交わりを思うと、「精神世界で生きることとは何か」について考える時間を、僅かでも増やすことから始めることにしたい。