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1998年3月号

OPINION

企業のグローバル化と倫理行動原則

麗澤大学国際経済学部教授
土屋武夫


 ニューヨークには、投資家のために企業の格付けを手がける信用調査機関があり、人々の投資選択に大きな影響を与えている。これらの大規模な信用調査機関の格付けは、主として500社以上の多国籍化した企業におよぶ。個人や小規模の会社ではとうてい不可能な、世界の各地で操業するグローバル企業の評価という課題に、取り組んでいるのだ。

 今日では、企業のグローバル化に伴いステーク・フォルダー、つまり企業に何らかの請求権を持つ人々もグローバル化し、多様化している。格付け機関のクライアントは、ペンションファンドや証券ファンドのような機関投資家ばかりでなく、匿名の小規模な投資家までにおよぶ。彼らは、当然、株や債券を保有するグローバル企業の経営活動や業績、その推移に多大の関心を寄せている。

 委託された人々の資金をどの会社に投資したら安全か。多少のリスクは負ってもリターンの大きな企業はどこか。投資している会社の経営が危機に瀕し、回復の見込みがなければいつ資金を引き上げたらよいか。求めていることは、グローバル化する市場での最適なポートフォリオ選択であり、将来まで見据えた適切な投資決定である。そのためには、当然、世界中から情報を集め、編集しなければならない。

 この作業には、当然コストがかかり、困難の程度も並外れである。なぜなら、企業は、ふつう自社に都合の悪い情報は隠そうとするからだ。さらに、投資対象の企業の活動も、今や国や地域を超えて地球全体にまで広がっている。だから、格付け機関は、財務の専門家や弁護士などのエキスパートを多数雇い、世界中のエージェントを使って、企業の業績評価に欠かせない情報を、多様なソースから入手する。彼らは、集めた情報を整理分析し、日々変化する企業の実態をいち早く適格に把握する。その結果 が、定期的に発表される企業の格付けである。もちろん、日本にも格付け機関はあるが、スタッフ数でも、格付け対象の会社数も、まだ、アメリカのわずか10分の1にすぎない。

 ところで、こうした格付け機関が、投資不適格のレッテルを貼ったら、どんな結果 を招くのか。一つ事例をとりあげてみよう。

 日本の代表的な証券会社Y社は、これまで法人との取引で高い評価を得てきた。しかし、昨年11月、アメリカの有力格付け会社M社によって、この会社の格付けはダウンし、投資不適格のレベルとなった。理由は、総会屋に対する利益供与や不明瞭な海外における簿外債務などの存在で、これは以前から投資家の間で指摘されてきた事実である。この評価の下落は、当然、顧客による証券ファンドの解約や預託している証券類の引き上げなどの実態を招いた。しかも、それだけに止まらず、金融機関や仲間の証券会社に対する信用失墜は、この会社の資金繰りを極度に悪化させ、ついに短期の運転資金調達が不可能になった。そして昨年11月24日、Y社は、臨時取締役会を開き、自主的な廃業と営業の休止を決定した。この会社が、会社更生法の申請を東京地裁に申し立て、従業員の雇用を確保できなかった理由は、簿外債務がなんと2,648億円にものぼっていたからである。この帳簿に記載されていない債務は、特定顧客に対する損失補填のために、会社の執行部がそれまで行ってきた、いわゆる「飛ばし」の累積結果 であった。これはもちろん証券取引法に対する違反であり、また経営陣の行為は、商法にも違反する。

 Y社が自主廃業に追い込まれたのは、資金繰りの悪化や株価の下落という直接的な要因に止まらない。透明性を欠く経営をこれまで続けてきたことに対する社会の厳しい目である。「隠し赤字」の存在を認めず、うそをつき続けてきた歴代の経営者の背信行為こそ、証券の名門企業Y社を死の淵に追いやった真の原因と言ってよい。それを社会の人々に伝えるきっかけとなったのが、M社による格付けダウンだった訳だ。

 これまで幹部たちは、飛ばしの実態を否定し続けてきた。値下がりして損を抱えた有価証券を、企業の間で転々とさせること、つまり「飛ばし」は、バブル期の水準まで株価が回復しなければ、最終的には証券会社自身が累積した損失のつけを抱え込むことになる。この簿外債務こそ、あきらかにY社の経営業績悪化の直接的な原因であった。しかし、より重要なことは、経営幹部の「うそをついてはならない」という倫理原則に対する違反であった。グローバル時代にあって、証券のような直接目に見えない商品を取引するビジネスには、何よりも「真実を述べ、真実にしたがって行動せよ」(truthfulness)という普遍的倫理原則が、もう一つの原則とともに、不可欠となっているのである。別 の原則とは、「他者に危害を加えてはならない」(do not harm others)という原則である。

 結局、経営者がうそをつき、債務を隠し続けてきた会社を存続させてはならないと、社会が判断したのである。これはあきらかに、痛みを伴う外科手術である。損失は、あまりにも大きい。

 更正の道を断たれたY社の社員7,500人の雇用はどうなるのか。顧客の財産は保証されるのか。欧米、アジア・オセアニアの海外子会社や14社にのぼる系列証券会社、そして情報や投資顧問会社などグループ6社の経営は、一体どうなるのか。Y社の経営破綻の影響は、単にY社やY社の系列に止まらない。この日、韓国の株式は、最安値を更新した。ジャパン・プレミアムもさらに上乗せされることになるだろう。こうしたビジネス行為の帰結(consequences)全体に目配りすることは、ビジネス・エシックスの重要な課題となっている。

 日本の企業社会は、グローバル化に向かって、自らの行為に厳しいリフレクション(reflection)を突きつけ始めた。グローバル化する市場での取引に参加するには、公正、信義、無危害などの普遍的な倫理原則を誠実に実現しようとすること(intergrity)が不可欠になっていることを、深く自覚する必要がある。