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1998年11月号

OPINION

情報化社会について想う

地球産業文化研究所参与

小松 國男


 今から25年も前のことになるが、1973年の夏に通 商産業省の大機構改革によって機械情報産業局が誕生した。局名に「情報産業」という言葉が用いられたのは、日本ではこの時が初めてで、情報産業に対する熱い思いが感じられた。

 当時は、米国のIBM社を先頭に世界各国の電子産業がコンピューターの大容量 化と半導体の技術革新やソフトウェアの開発につばぜりあいを演じていたというよりは、巨人IBMにどうして追いつくかということで苦慮していた時代といった方が適切だろう。

 御多分に漏れず、日本でも貿易自由化、資本自由化の国際化路線の中で電子産業の生き残り策が懸命に推進されていたが、これは、すでに成熟段階に達した近代工業化社会がかかえている人間の没個性化、地域較差の増大、自然環境との不調和といったいくつかの問題を解決して、人間を長時間単純労働から解放し、豊かな情報を提供することによってゆとりのある個性豊かな文化的生活を可能にすることができるのは、大量 生産、大量販売をベースとした重工長大型産業ではなくて、すぐれた情報処理能力を持つコンピューター技術と通 信技術、映像技術が統合された情報産業を中心とする知識集約型産業であり、この成果 をエンジョイする社会こそがポスト工業化社会にあたる情報化社会であるというのが大方の識者の予測だったからである。

 当時、通商産業省の産業構造審議会情報産業部会が情報産業の未来像と情報化社会への展望について答申した内容もほぼこの路線にそったものであった。

 それから25年が経過したが、情報化の進展は目を見張るばかりで、今現在は、情報化社会の真っ直中にあるといっても過言ではないかもしれない。

 職場では、ファックス、パソコン、Eメールは一般 化し、インターネットによる情報交流をはじめテレビ会議システムなどを採用するところも増えており、また、生産現場では、一品種大量 生産のオートメーション生産ラインは影をひそめ、個別需要にきめ細かく対応するフレキシブル生産体制が主体を占めるようになり、人間の単純過重労働を軽減する方向に大きく前進している。さらに、生産、販売、在庫、ロジスティックス、経理、支払などをリアルタイムで直結させることによってオペレーションコストの削減をはかり、また、店頭や企業と最終消費者を結んでニーズをくみ上げるといった高度情報システムもその一部または全部がすでに活用段階にある。米国の先端企業に比べれば一歩も二歩も遅れをとっているといわれる日本企業の情報化もすでに相当の段階に達しているということができる。

 光ファイバーと衛生の活用によって、生活面 での情報化も驚くべき進展をとげ、一般テレビはもちろんだが、CATV、携帯電話、ファックス、パソコン、インターネット等により、家庭で映画番組が選択でき、友人との交信関係が多彩 となり、単身赴任の夫婦がEメールで毎日安価な会話を楽しみ、囲碁敵がパソコンを通 じて勝負するという話も耳にするようになった。特に、長野オリンピックの開会式のパーフォーマンスは、まさに情報化社会ならではの圧巻であったと思う。

 このような現状をみると、企業活動も家庭生活も多彩 な情報化テゥールの活用によって幅広い恩恵をエンジョイしているが、かつて描かれた情報化社会の未来像、すなわち、未来志向型の社会体制の中でゆとりと文化的香りの高い生活が営まれ、自然環境との調和がはかられるといった理論からは程遠い実状にあることは否めない。これを情報化がその原因でもあるグローバルな厳しい競争社会のせいにする人もいるが、その最大の原因は、情報化を通 じて追求すべき社会理念の構築や精神文化面での充実努力が不足していることにあるというのが本当のところではないだろうか。

 私も最近暇になって、テレ寝をしながら内外の野球やゴルフ番組をエンジョイするかたわらニュースワイド番組などをみる機会が多くなったが、ワイド番組編成者の努力は多としながらも、スピードと他社との視聴率競争に追われているせいか、情報内容に拙速の感をまぬ がれず、またどのチャネルもほとんど同じ内容を報じて社会全体の情報バランスを欠いているのをみると、「一億総白痴化」といった大宅さんの言葉や現在の経済不況を情報化不況と論ずる説に耳を傾けたくもなる。もちろん、立派な価値ある教養番組も沢山あり、社会全体の情報量 は飛躍的に増大しているわけだから、これを選択して活用する個人の価値観の確立とあわせて情報内容の充実や精神面 、文化面を通じた価値ある情報の創出努力が続けられれば、我々の夢の実現も不可能ではないと思われるので、その方向に向かっての前進を期待したい。