1995年1号

東西の価値観の懸隔

 最近、国際問題の論調の中に東西の「価値観」の違いが論じられることが多い。

 過去10年、アジアの経済は急成長を遂げ「世界の成長センター」と呼ばれるようになった。1993年の統計によれば、一人当り国民総生産でシンガポールが19千ドル台にのせ、まさに先進国入りした。また、タイが2千1百ドルとわが国の30年前と同様、「三種の神器」時代を迎え、テレビ、洗濯機、冷蔵庫が普及する一方、マレーシアが三千4百ドルに達し、わが国の25年前と同じく、「新三種の神器」、すなわちカラーTV、クーラー、カーの「3C」時代を迎えている。

 われわれ日本人がそうであったように、モノ、カネの充足感はライフスタイルの西欧化をすすめているが、生活に満足感を得るのと並行して、人々にはより良い生活環境、より安定した社会への願望が芽生え、さらには自分達の固有の生活様式や習慣、価値観や伝統文化への郷愁も高まり、いわば伝統回帰の傾向を見せている。

 第6回太平洋経済協力会議(APEC)が11月にジャカルタで開催されるが、そのAPECの場での「貿易・投資の自由化」といったメイン・テーマの議論に際しても、また一方、アジア諸国に向けられた「人権問題」に於いても、政治的背景と並行して、組織とその構成員、社会人と個人の関係につき、東西の価値観や伝統的文化の違いが浮き彫りになってきている。

 APECに於いては、貿易・投資の自由化によりメンバー国・地域間の経済交流を一層円滑化、活発化し、さらなる地域経済の発展を目指すという理念のもと、高いレベルでの協議がなされ、数々のワーキング・グループによりその具体策が検討されているが、APECそのものの在り方、理念に向けての取り組みの在り方などで、東西の伝統的「ものの考え方」に懸隔が伺われる。

 そこでは、一つのグループを組成する以上、構成国・地域でまず一つの規範、枠組みを構築しようといった「枠組み・ルール」先行型ともいえる米国の考え方に対し、市場主導型ともいえる経済交流のもとようやく経済発展を軌道に乗せ得たアジアは、その体験をもとに「実践先行型」ともいえるアプローチを主唱している。

 文化人類学を紐解くまでもなく、古くよりアジア、特に東南アジア地域の社会観では、相互扶助的、共栄志向的「穏やかな構造の社会」が基層をなしており、外圧に対しては脆弱な「劇場国家」と称せられる、構成員に上下階層なく、役割を分担しあう社会といった考え方が染み込んでいる。27年前に組成されたアセアンがまさにこの考え方に立って活動を続け、相互の主導を尊重しつつ、反共連盟として、また大国に対する協同外交の面 で成果を挙げてきたこともその一例と言えよう。

 「人権問題」も、「何人も犯すことのできない個人」といった西欧流の価値観と、「仁」の文字にみられるように、二人、すなわち「関係のなかでの個人」といった西洋流の考え方との価値観の懸隔によるとも言え、市場原理の働かぬ 価値観のもとでの交流は、「ルール」でなく、「異なる価値観、文化に対する相互の深い洞察と、理解」でしかその懸隔を縮めることは難しいと思われる。国際関係を動かす力が、政治力から経済力に移ったと言われて間もないが、真の国際交流をすすめ、安定した国際社会を構築するため、いま人々に最も求められることは、自他の価値観、文化への深い洞察力と理解力であると考える。

 

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