1994年6号

第二回『21世紀文明と国家の枠組み研究委員会』から

【情報文明のインパクト】

 かって、工業文明や石油文明が云々されたように、今まさに情報文明が姿を現し、地球規模に広がろうとしている。

コンドラチェフの長期波動説に従えば、1970年代半ばが至近のピークであり、2020年代には次のピークが訪れることになる。

 

 その軸になるテクノロジーとして、バイオ(生物)やファインケミカルともにあげられるのが情報通 信ネットワークである。

 既に自分の端末機から世界各地のデータベースにアクセスし、好きな情報を取得したり、自分の端末機から情報を相手に伝達できるようになっている。

 一部の大学では、学内にパソコン通 信のネットワークがあり、教官が学生を指導したり、国際的な研究交流も行われているようである。

 現状に於いても、パソコン通 信のアクセスは容易で、受信情報の選別を行ったり、読み終わったデータや受信情報は表示画面 から消去するシステムもあるので、情報の氾濫は生じない。

 又、お年寄りや体の不自由な人々もパソコン通 信を行うことによって、新たな情報を得たり、友人関係を築けるようになっている。

 高度情報化社会は歴史上かつて見られたことのない規模で、情報の「量 」的処理が行われ、新たな価値創造を生む「質」的向上をも享受し得る社会である。

 これが完成した暁には、ネットワークが結ばれ、より高度の双方向の通 信が可能になり、各々の端末が数多くの機能を満たすことができる。(Newsweek誌は、多数の通 信衛星を打ち上げることで、光ファイバー網がなくても画像やデータの送受信が可能になる”情報スカイウエー”構想を紹介している)

 個人について見れば、人の付き合い方、情報の発信、受信の仕方は大幅に変わっていくであろう。

 買物について云えば、特定の販売会社に端末機から注文すると、商品が自宅に配送されるようになり、医療の面 では、簡単な情報を専門医に伝達すると、それによって一時的な診断が、できるようになるかもしれない。本の原稿作成は既にパソコン通 信による修正が行われているが、装丁についても利用されるようになるだろう。今は印刷されて宅配されている新聞も、既にデータベース化されており、将来の新聞は端末機からの選択的画面 抽出になるかもしれない。更に、個人のこうした全ての代金支払すら、端末機で行われようになるだろう。

 これらの情報システムは現状に比して、人工知能やファジー化が進むことになり、従来の単なる計算機の延長ではなくなるだろう。今後、翻訳機も格段の進歩を遂げ、情報の共有化を促進することになるだろう。既に、個人でもCNNによって瞬時世界のニュースを見ることができるが、国際パソコン通 信に翻訳機が導入されるようになれば、より多くのネットワーカーが参加でき、しかも海外のプライベートな最新情報を入手することになるだろう。

 高度情報化社会は映像情報の送受信をも可能にする。当然のことだが、同一言語圏であっても文字情報に比して映像情報の影響力が大きい。更に、グローバルに見ても映像情報は言語の障壁を乗り越えることができるのである。

 こうした数々の利点が予想される反面 、高度情報化社会について行けない人々が現れるだろう。だが、将来ソフトウエアの利便性が向上することによって、今よりはるかに多くの人々が高度情報化社会に参入できるだろう。

 個人対行政の関係で見ると、行政は情報操作がしやすくなる面 もある。しかし、個人も情報という点で大きな力を持つようになるだろう。

 「『1984年』でジョージ・オーウェルがすべての国民がモニターテレビで監視され命令されているという暗黒未来学を書き上げたのは、1948年のことである。1984年が現実にやってきたとき、そういうテクノロジーの水準はすでにオーウェルの時代の想像力を超していたが、現実には、それだけの技術力を有している国では社会の管理化がさほどではなく、社会の管理化が激しい社会では、それほどのテクノロジーはなかった。」と小田晋氏は語っている。

 過去の歴史が示しているように、高度情報化社会は管理化社会を意味するものではない。

 高度情報化社会の到来について、今井賢一氏はこれまでの市場に於けるインビィジブル・ハンズ(invisible hands-見えざる手) が巨大企業のビジブル・ハンズ(visible hands-見える手) に取って変っていく、という話を紹介している。

 否定的側面 もあるにせよ、高度情報化社会の到来は秩序ある多様性を担保する可能性も期待できるのである。

 今度は、情報文明の進展が国家システムに及ぼす影響について考察してみよう。

 現在存在している国家システムは、ある人達にとっては大きすぎる、又ある人達にとっては小さすぎるのかもしれない。

 コンピューターの世界には、ダウンサイジング(downsizing)、ネットワーキング(networking)、アウトソーシング(outsourcing)という言葉がある。ある意味に於て、コンピュターのこうした動きは国家間及び国内の状況を先取りしていたのかもしれない。

 大型コンピューターからパソコンへと移り変わったダウンサイジングへの動きは、中央集権・トップダウンイデオロギーから価値観の多様化、分散型の双方向の政策決定への動きを示唆しているように見える。

 又、EUやNAFTAはネットワーキングに対応するかのようである。

 EUやNAFTAは、ネットワーキングである以上、各々の国がボーダーレスになる訳ではない。当然のことだが、国境沿いに動く財、人、金、情報に対して、各々の国家がアイデンティティーを維持しながら、どのように対応していくか、という問題が生じている。

 EUやNAFTAの動きをブロック化と捉える向きもあるが、むしろ各々の国家のこうした状況への対応、努力と考えた方がよいのかもしれない。

 このように考えてみると、先日決裂した日米包括経済協議も、日米がどのように共通 の制度、手続きを持つための懸命な努力と見ることができるし、ウルグアイ・ラウンド然り、アジア太平洋について云えば、APECやASEANも同様であろう。

 一方、情報には教え合う、学び合うという側面 がある。殆どの国家は自分自身の生き方に確信を持っていない。例えばEUは、ドイツの堅実性、フランスの天才的な感覚、イタリアの美意識等と云ったものを混合し、新しいヨーロッパのデザインを模索している。これはコンピューターになぞらえれば、アウトソーシングに当たっている。

 ダウンサイジング、ネットワーキング、アウトソーシングを可能にしたものは結局ICである。そのアナロジーでこの議論を考えれば、ICは人間の処理能力ということになるだろう。だが、人間の処理能力は向上しないのである。

 他にも、情報文明には社会を不安定や分裂に向かわせる否定的側面 がある。例えば、ネットワーキングによって、大きなビジネスチャンスを活かして成長する企業がある反面 、ハイテクについていけない人々、謂わば、ハイテク失業を生むことも考えられる。

 これは好不況に関係ない構造的失業と呼ぶべきもので、社会的な不満分子や政治勢力が生まれるかもしれない。

 しかしながら、既に述べたようにダウンサイジング、ネットワーキング、アウトソーシングには、安定に向かわせる側面 もある、ということも強調されなくてはなるまい。

 もし、国と国との間に相互に相手を認識しない、自己認識ができない、というところに戦争があるとするなら、情報を共有化することで、相互抑制が働き、腹を立てても手は出さない、という状況も生まれるだろう。

 又、旧東西ドイツの統一に際し、旧東側市民がTVによって西側のことを熟知していたことで、さしたる混乱もなかったことは記憶に新しい。

 石井威望氏は高度情報化時代には地の不利がなくなる、と語っている。今まで遠隔と思われたところもネットワークに参加できるのである。

 既述の通 信衛星による情報スカイウエーが完成すれば、途上国の情報文明への参入が容易になるかもしれない。

 途上国のソフトウエア会社が日本やアメリカに送信したり、日米の専門家が政治や文化について、居ながらにして議論ができるのである。多額な投資を必要とするに違いないが、地域間や国家間の公平性をもたらす事になるだろう。

【委員名簿】
委員長    木村 尚三郎 東京大学名誉教授
委員長代理 山内 昌之  東京大学教養学部教授
            天児 慧   青山学院大学国際政治経済学部教授
            市岡 揚一郎 日本経済新聞社取締役論説主幹
            伊藤 元重  東京大学経済学部教授
            加地 伸行  大阪大学文学部哲学科中国哲学講座教授
            北岡 伸一  立教大学法学部教授
            児玉 文雄  東京大学先端科学技術センター教授
            松原 隆一郎 東京大学教養学部社会学科助教授
特別委員   福川 伸次  (財)地球産業文化研究所顧問、(株)神戸製鋼所副社長
        河野 光雄  (財)地球産業文化研究所理事、内外情報研究会会長
        坂井 宏   通商産業省大臣官房企画室長

 

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