1994年8号

第2回「感性の情報環境学研究委員会」から

【感性情報論の現在】

 心は化学反応である。最近、神経伝達物質や精神変容物質より、快感発生は脳の神経と神経の接点で行われる化学伝達に関連していることが明らかになってきた。

 前者の例としての実験がある。ネズミにβ-エンドルフィン(モルヒネの数十倍の効力を持つ脳内快感性神経伝達物質)を注入すると、体が痙れんし目を見開き、いかにも苦しそうに見えるが、実は快感の極致に至る。

 後者の例はモルヒネ等の薬物である。人類はメッセージになる化学物質の偽物を自分に取り込んで、それによって何か特別 な心の状態を作り出していた。

 前者を本当の鍵とすれば、後者は偽の合鍵である。

 非西欧文化圏の一部(バリ島等)では、後者の薬物によらず、宗教儀式の興奮の高まりから脳内に快感性神経伝達物質が発生し、昏倒する(トランス状態)演者がいることが知られている。(バリ島の人達が、ガムラン音楽によって快感を得たり、宗教儀式のトランス状態等になることによって、精神に係る病気やアルコール依存症になる確率は、東京に住んでいる人に比べ、各々30分の1、300分の1と云われいいる)

 感性を「うつくしさ」「こころよさ」「おもしろさ」「たのしさ」と云ったプラスの情動反応を必須とする心の働き、と定義しよう。

 感性情報は感性を導く刺激である。その刺激を伝える手続きには、勿論芸術的な活動も含まれるが、感性情報処理という科学としても捉えることができる。

 デカルトは「心身二元論」を唱え、ものと心を切り離した。感性情報処理は明らかに、この考え方に抵触している。

 そこで、早速問題が生じてくる。物理量 、意識できるもの、知覚できるもの、線形性はよいとしても、そうでないものは我々の前途を妨げるのである。要するに今日のデカルト的手法は種々の機能を備え、ここに入力すれば直ちに出力が得られるが、分野間の空白には解答を出せない。

 感性情報処理に当り、我々はまず聴覚情報に着目する。というのも、一次元の現象のためモデルを組み易いからだ。

 周知のように、フレッチャー・マンソンは、人間の耳に音として聞こえるのは20kHz以下である、との計測を行った。

 このことから、音を伝える様々なシステムはゆとりを見ても20kHzまでになっていく。ところが、LPレコード爛熟期の制作現場では、20kHz以上の高周波を強調したり、制限したりすると音質が変わる、と云われていた。

 山城祥二(科学者・大橋力のアーティストとしての別 名)も同様の体験をしている。LPカッティングの際、50kHzあたりを取り上げると、謂わば隠し味とも云えるような何か怪しい美しさが出ていた。だが、CDではこの効果 が全くない、ということに気付いたのである。

 というのも、当時あらゆる音楽スタジオは音響機器メーカーや大型電子機器メーカーの子会社だった。親会社の中央研究所はCCIRという方式による実験によって、15kHz以上の高周波の有無は音質の差に影響しない、との結論に達していた。

 アーティスト山城祥二の疑問は科学者・大橋力の研究の糸口となった。即ち、「可聴域を超えた高周波は人間に快適感を生む」という仮設の検証である。

 これは実験方法さえ確立すれば可能なはずである。

 実験によって、驚くべき事実が判明した。ピアノの音は20kHzまでだが、ブルガリアンコーラスは人間の声にも拘らず80kHzまで、バリ島のガムラン音楽となると100kHzまで実測できたのである。

 このことから、神秘的な音楽や宗教音楽が陶酔性を持っているのは高周波によるもの、との推測も可能であろう。

 次のステップとしては、人間の高周波に対する反応を何処で把握するか、という問題である。試行錯誤の結果 、脳波(快適感はα波で計測される)がふさわしいとの感触が得られた。

 実験は被験者が測定されている心理的影響が無視できる程の、リラックスした雰囲気の部屋で行う必要がある。被験者の体に計測用マイクを置き、3分間程曲を聞かせる。α波はフルレンジの音の時多く発生し、高周波をカットした音と較べると顕著な相違がある。今度はフルレンジの音でスタートし、途中で高周波をカットすると、α波はしばらくそのまま発生するが、一定時間たつと急激に落ちる。中にはその変化(極端な例では100秒)がゆっくりな人もいる。

 多数の被験者で統計処理を行うと、瞑想との関わりがあるのかもしれないが、目を閉じた時の方がα波が多く発生する。

 これに対して、従来の計測は耳の反応で行われた。この実験では20kHzはおろか、16kHzでも音の差は分からない、というのである。これがCDフォーマットを決める根拠となった。幾分余裕をみて20kHzまでとし、現在の44.1が完成した。

 ところが、人間の脳の反応はα波発生で見ると、場合によっては立ち上がるのに20秒、消えるのに100秒もかかっている。このように残留効果 (inertia)の大きな反応が音知覚に影響を及ぼすことから、音を10秒程の時間で切り替えると、脳の回路はその違いが分からなくなる。

 我々がウイスキーのグラスを数杯重ねると酔いが回ってくるので、途中でウーロン茶を出されても分かりにくくなる、のと同じだ。逆に、ウーロン茶を続けて飲んで、ウイスキーを突然出されても、ハイカットサウンドの影響は尾を引かないのと同様、すぐ分かってしまう。

 これは実験に応用することができる。

 被験者に時たま、高周波のある音を聞かせると、危険率5%と極めて高い識別 を行う。ところが、高周波が続いている中に、時々高周波を除くと、今度は識別 できなくなる。

 次の実験は被験者に残留効果 (inertia)を無視し得る程、長時間聞かせる。すると今度は約半数の人達が95%以上識別 する。

 その時の被験者の印象は興味深い。可聴域では高周波の音は固くて鋭い音に聞こえたのが、可聴域を超えた高周波は柔らかく余韻が豊かで、ニュアンスの変化も大きい、と云うのである。

 知覚できないものによって、知覚が影響を受けているのである。

 ちなみに、脳内の神経伝達物質の伝達の傾向を見ると、面 白いことが云える。アセチルコリンという神経伝達物質が神経細胞の継ぎ目であるシナプスに放出され、消失するまでに1,000分の1秒しかかからない。ところが、モノアミンやオピオイドペプチド等の快適感をもたらす神経伝達物質は、一度放出されるとなかなか消えず、繰り返すと、更に累積されていくことが分かっている。

 まさに、上記の実験と符号するのではないだろうか。

 既に、明らかなように『情報環境学』は単なる心理学の一領域ではない。

 所謂、心理学には三つの流れがある。第一はヴント以来の内観心理学で、意識は意識として扱うのが心理学者の立場であり、その限りに於て客観化する。第二は意識や心については語らず、対象とするのはビヘイビア(behavior)だけである。この考え方は心をビヘイビア(behavior)で置き換えることで、初めて人間の心の代用になる、と考えているように思える。第三は臨床心理学で、その目的を治療に限っている。

 心理学者にとってのビヘイビア(behavior)はあくまで固体のビヘイビアである。だから、人間の集合体を対象にする時にはわざわざ『社会心理学』と呼ぶことになるのだろう。

 更に、細分化を進めると組織になり、生理学だから大脳生理学者に任せるべき、となる。

 このように、心理学はいずれにせよ、非常に限定的でそこから先に進もうとしない。従って、今この三つの流れを架橋することが求められているのである。

 

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