1998年5号

グローバル・ガバナンスの課題と環境認識 -総合安全保障研究委員会について-


 昨年10月に開始した「総合安全保障研究委員会」は“グローバル・ガバナンス”をテーマに研究している。今後まとめに入る計画であるが、これまでの討議も踏まえ課題と環境変化の基本認識について事務局から中間報告する。

 一般に“ガバナンス”は統治組織体としてのガバメントに対比するものとして使われる。国際社会には政府がないわけで、そこでの秩序の捉え方として、リアリスティックなパワー・ポリティックスやレジーム論など従来からいろんな見方がある。一方で国際社会は大きく変わってきた。一面 的な見方で把握しそのあり方を議論することは困難になっている。どういうルールが機能し、何を求めるべきかを多面 的重層的に捉えようとするのが今日のガバナンス論である。また、ガバナンスは国際社会のみならず、コーポレイト・ガバナンスなどのようにいろんなレベルで使われるものでもある。


1.冷戦後のガバナンスに関する環境の本質的変化

 グローバル・ガバナンス"グローバリゼーション"からくる課題である。グローバリゼーションについてはいろんな分析があり定義がなされている。大きく言えば、それは国内外の多様な組織やルールの相互依存の拡大と影響が伝播する早さと言えるのではないだろうか。ここでは定義の問題には入らず環境変化の特異性の指摘に止めたい。

 一般的にグローバリゼーションで表現される状況は冷戦終了後を示している。それは冷戦終了後の、広い意味での国際システム、政治・経済・社会などの関係が、それ以前とは不連続といってもよいくらい変化したことの現れである。逆に言えば、冷戦は軍事力の直接的執行ではなかったが実質的には同様の圧力と、結果 としての歪みを与えてきたといえる。それは対峙する両リーダーのみならず、世界システムに多大な負担を強いてきた。旧ソ連が解体したのも社会制度の理念よりも一義的には衛星国の支援を含む軍事費負担の限界であったし、米国における負の遺産もまた多大である。核という実感しえない兵器システムと安全保障に拘わる本来の機密性ためこの影響が一般 的に認識されることは困難であるが、40年間の冷たい戦争はあまりにも大きな圧力であり負担であった。しかも、まだ清算は終わっていない。この特異性にまず留意すべきであろう。

 民族・貧困・人権などの抑圧されあるいは無視されてきた部分の開放、資本・人・技術などの流動性の開放、地球環境問題などの表面 化と対策実行への始動、あるいは産業・技術の軍民転換から逆に推定される資源配分のかっての偏りなど、冷戦の終了を抜きにしては語れない。これらの変化は潜在的には冷戦終了前から存在したものであるが、この10年の動きは不連続というべき変化である。WTOもそもそも今日のグローバリゼーションを想定していなかったし、IMFその他もそうである。結果 として現在の世界システムには随所に機能不全や欠落があり、これらは簡単なレジームでは解決できない。

2.グローバリゼーションの政治経済学的影響

 グローバリゼーションによる政治経済学的側面 を考えてみたい。これはガバナンスの場の変化の捉え方である。

 第一に、市場経済あるいは市場メカニズム重視への大きな変化である。これ自体は、国家への錯綜するニーズから財政的に膨張をつづけ、結果 として大きくなり過ぎた政府への経済学的必然性、あるいは政府への個人の反発もあろう。イデオロギーに固まった閉鎖型経済、制度間競争のない経済にグッド・ガバナンスが働かないことへの反省もある。

 一方で、市場メカニズム重視の考え方には、市場ないし貨幣経済に組み込まれた今や無視できない巨大な人口と、開発経済上の要請の大きさも考える必要があろう。ODAも当然必要であるが、国家を仲介者とする開発援助に限界がみえてきたことからくる一つの必然ではないだろうか。一方で、現在のグローバル資本主義は、理念としては効率的であるが、少なくとも類似の状況で、すなわち今日の巨大で多様な世界でうまく運用された実績はまだほとんどないわけである。特に金融・資本の自由化はその影響力の大きさと移動の速度を含め安定性の目処はつきにくい。また地球規模の環境問題などの負の側面 を抑制する機能が折り込めるのかどうかも分かっていない。まだ実験段階のものともいえるのではないだろうか。制度・ルールの補完で済むのかどうか、逆に新重商主義化の可能性すら否定できないし、流動的な状況は相当期間続くのではないだろうか。

 一方で、環境問題や国際社会の相互依存性が極めて大きくなることを含め、従来の国家主権概念と少なからず摩擦を起こしうる。ここにはガバナンスの確立への基本的な問題が含まれている。

 第二に、国家の役割は、相互依存が拡大し、影響の伝播が高速化し、より複雑化するほど、逆に再び重要性を増してくる。それはグローバルな規模で秩序が維持できる保証がないからであり、また市場主義の負の側面 を償う必要があるからであり、それには超越的権力が必要であるからである。国家の役割が市場と補完的なものに変わっているとしても、秩序維持のためのセグメントとしての国家の役割はその意味で変わらないだろう。

 ただし、その機能を国家が十分果たせるかどうかが新しい問題である。地域主義やブロック化に新しい役割が期待されるかもしれない。 第三に、国家の性格が多様な形態に変化するのではないかと言われている。その一つの流れとして、企業や人が国家を選ぶ、「国家の地域自治体化」の側面 が強まるのではないだろうか。それは国家の制度間競争であり、既に始まっているところでもある。EUの通 貨統合は従来の国家主権の概念からすればまさにその側面を持っており、その国家利益との関係、政治・社会的影響は定かではない。EUの例は別 としても傾向的にはいろんなところに現れている。これらの課題の一つに税制などの国家内制度もある。

国家の経済力はGDP的観念から帰属主義に視点が移行してくるのではないだろうか。国家主権の行使の課題としての国家内制度の問題も大きくでてくるであろう。

 相互依存の拡大は政策の選択肢を減らし、あるいは政策の相互連関を増大させ、相互に総合型の政策を要請することになる。これらは必然的に国家主権の問題と絡んでくる。相互依存の連鎖の拡大と影響への責任の問題は、国家間に止まらず、すべての側面 で起きてくるであろう。

 第三に、市場経済の力は強大であり、熾烈なものである。この結果 は社会構造を変容させる力をも持っていることに留意する必要がある。これはある部分の国では不安定の原因になるかもしれない。その結果 で中間共同体などの社会的分裂をきたし、あるいは逆に政治経済的集団を発生させるかもしれない。非国家制度での秩序を保全する機能やその役割にも注意が必要であろう。

3.ガバナンスと影響要素の多重化と相互依存

 次にガバナンスの機能に拘わる種々の変化をみる。第一には、第二次大戦後に設定された国際機構は実態との制度的矛盾が強まっているが、制度改定には相当長期を要すると考えておくべきではないだろうか。これはある意味であはガバナンスを考える上での仮説である。国際連合についても、発足時の51カ国から現在185カ国に上っている。総会の単純多数決主義とか安全保障会議のあり方とか、あるいはそもそもの国家主権の定義とかいろんな議論があるがビルトインされた決議方式からすれば変更は極めて困難であるし、納得される理念やルールはまだみえない。IMFも多くの議論が延々と続いているが収斂 の方向はみえない。これら既存制度を補完するためや、あるいは逆に回避するため、既に多くの公式・非公式の変則的制度や条約、慣行が現出している。今後も国家間の関係では、パワーやリーダーシップによる種々の駆け引きと重層的なレジームやネットワーク型機能が現れ混在するであろう。これらの混在がガバナンスそのものになる。国際システムは常に流動化することを前提とする分析が求められる。

 第二に、国家は本来仮想概念であり、市場と国家の役割が変化してきたと同様に今後とも変わってゆく。これは国によっても差異がでるし、管理の対象となる分野や事象によっても変わってくる。ある部分では主権が及ばないか機能しない空白もでてこよう。主権の概念は国内事情から往々にして国際社会の障害になる。民主化はこれに拍車をかけるかもしれない。相互依存の関係が拡大する中で、国際化する問題への影響力行使とその機動性の確保から、国の内外で、アクターや形態が多様化する可能性がより増大する。レジティマシーの根拠が、最終的に国家か国家が認知するレジームであることは変わらないだろうが、実質的影響力は多様化するであろう。経済的側面 で国家の役割の変化はより強くでるだろうが、社会的側面でも影響を与える可能性がある。

 第三に、環境問題などの地球規模の諸課題が国際社会で完全な市民権を得たこと、科学の応用が軍事的制約や国家利益の制約から大きく解放されたことから、アクターの種類が拡大してくる。大きな動きとなったサステナブルな発展の課題などは、国家単位 の管理の限界から本質的にアクターおよび説得の道具を変化させてゆく。これらは国家がこれまで十分な知見と手段を保有しなかったところである。しかし冷戦の終了はいろんな分野に資源を配分することを可能にし、既に動きだした。そして幸いにも今のところ冷戦時の道具と人的資源が相当部分流用可能になり効果 を発揮している。これらの関係は従来の主権国家内のヒエラルキー型のものではあるまい。

4.ガバナンスの形成と維持への影響力の変化

 国家安全保障は主権国家の最優先課題である。冷戦という特異な形の戦争と集団組織化の理念としてのイデオロギーは国家の判断に大きなレジティマシーを与えてきた。相互依存の拡大は安全保障に寄与すると一般 的にみられている。その効果はこれから検証されるものであるが、平時において国民に負担を強いる国家主権の発動には大きな抵抗が予想される。まして冷戦の精算が済んでいない現状では特にそうであろう。今求められているのは経済力の回復であり国民負担の削減であろう。国際的に認知される行動も制約は増えてくるであろう。特に大きく変容した経済システムなど、国際的環境変化の中での国益の追求の仕方も自ずから変化してくる。

 グローバリゼーションと市場経済への新規参入国との共存、その中での国益を考えれば、先進国の戦略も多様化してくる。国力の維持のために経済もソフト化が進むのは必然の動きであろう。リーダーシップの対象も多様化し安全保障の対象も多様化してくる。外交の様相も変えてゆくのではないだろうか。各種のデファクト・スタンダードも大きなツールである。貨幣、言語、価値観なども極めて大きな影響力を持つ。国家主権は交錯し、国際システムを変質させ、安全保障の概念を変えるものかもしれない。

 一方、既に言葉の上で取り上げられた安全保障の対象は広がりつつある。しかし、これらがどういう結果 を生じるかはまだ定かではない。試行錯誤の実験社会はまだ始まりの段階であろう。そのためには、実験のためのセーフティネットとしての社会制度すら検討課題になりうる。

 現在の総合安全保障研究委員会はこれらのすべての課題を扱うものではない。現状では秩序の維持を主眼としてこれらの一端から順次着手しようとするものである。ここに記した事柄発足時の事務局の思いを中心に委員会の議論を反映したものであり、文責は事務局にある。まとめの作成時には改めて報告したい。

(事務局 守安勝巳)

 

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