1998年7号

アジア経済危機と日米関係

一貫性にかける米国のアジア政策

 最近、日米協調について考えさせられることが多い。考えさせられるといっても、日本外交の基本として日米協調の重要性をあらためて確認するといったことではない。まして日米協調に反対するということではもちろんない。アメリカ政府はしばしば、日米協調の名の下に日本政府の手を縛り、その一方で自分たちの行動の自由は確保しようとする、しかし、それではアメリカ政府のリーダーシップに期待していて大丈夫かというと、実はなにかよく考え抜かれた長期のゲーム・プランをもっているわけでもない、そういった事態が最近、目につき、そのため日米協調について考えさせられる、ということである。

 それはこういうことである。たとえば、昨年7月、タイが通 貨危機、金融危機に陥ったとき、アメリカ政府はまったくなにもしなかった。タイに対する国際的支援の枠組みはIMFと日本政府によって作られた。ところがAMF(アジア通 貨基金)構想が浮上すると、アメリカ政府はIMFのインドネシア支援の枠組みに参加し、AMF構想を潰してしまった。この一年、アメリカ政府のインドネシアに対するスタンスにも一貫性がなかった。アメリカ政府は、昨年10月の時点では、スハルトは問題の一部であるという態度だった。ところが今年1月には、スハルトは問題の一部だけれども解決策の一部でもあるという態度に変わり、それがこの5月にはまたスハルトは問題の一部であるという態度に戻った。

 アメリカ政府の対アジア政策がこのように一貫性に欠けるとき、日米協調を重視すれば、当然、日本政府の行動の自由は制約され、日本の対アジア外交はアメリカ政府に振り回されることになる。しかし、だからアメリカはけしからん、といって怒ってみたところで、そんなことは現実政治においてなんの役にも立たない。ではどうすればよいのか。

説得するしかない

 説得するしかないだろう。問題はどうやって説得するかである。これは問題によってもちろん違う。問題に応じてアメリカ政府部内における政策決定過程のダイナミックスが異なり、説得のためにはこのダイナミックスを考慮しながら説得のやり方を考えるほかないからである。

 たとえばアメリカ政府は現在、インドネシアに対するIMF支援についてかなり慎重な態度をとっている。政治の不安定なところでIMF支援を行っても有効ではありえない、というのがその基本的考え方である。しかし、これは、アメリカ政府部内で対インドネシア政策に関与する重要プレーヤーがみんな同じ考え方をもっているということではない。

 インドネシア問題については、この5月以来、政府部内に財務省、国防総省、国務省、国家安全保障委員会、ホワイト・ハウスの代表者からなる委員会が作られ、ここで政策の調整が行われるようになった。これら代表者はそれぞれ違った観点から対インドネシア政策を考える。財務省にとって今いちばん重要な問題は議会にIMF増資をいかに説得するかである。ホワイト・ハウスにとっても議会対策、さらには11月の中間選挙がもっとも重要な課題である。したがって、財務省、ホワイト・ハウスの代表者は、インドネシア危機の処理というより、アメリカの国内政治的観点から対インドネシア政策を考える。

簡単ではない日本の説得

 日本としてはそういったかたちで対インドネシア政策が決められたのでは困る。したがってこれを避けるには、国務省、国防総省、安全保障委員会の代表者の立場が強くなるような説得をするしかないだろう。それはインドネシア問題に即していえば、インドネシアの状況がどれほど深刻なものかを具体的証拠をもって示し、アメリカの国内政治的配慮を優先させるとたいへんなことになりかねないと、説得することである。

 しかし、これはそう簡単なことではない。あたりまえのことだけれども、協調において重要なことは、協調の相手のことをより知り、われわれに望ましい協調のかたちを作り上げることである。しかし、われわれは、そういった協調を実現するために、アメリカ政府部内における政策決定のダイナミックスを実のところどれほどわかっているのだろうか。

 

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