1999年2号

悩むな、NIPPON マグナス・ブロンストロム


はじめに

 今の日本を見て悲観的になるのはやさしい。金融危機を引きずったままだし、経済は成長していない、失業率は上がるし、このごろではデフレにまでなっている。こんな深刻な事態を抜け出す方法が、本当にあるのだろうか?それが間違いなくあるのである。今の日本の危機は別 にユニークでも何でもない。私は、この一文で、新しい21世紀に向かって日本を再生するため、いくつかの提案をしたいと考えている。

スエーデンとの類似性

 ついこの前、日本が今陥っているようなショックを経験した国からきたアウトサイダーとしてみれば、現在の日本経済の問題についての議論は、聞いていて興味がつきない。まるで過去にもどったみたいだ。スエーデンは、1992年に、「スエーデン式モデル」が機能しなくなったことを、ついに認めたのである。長年にわたって、スエーデンでは全てがうまくいってきたことを考えると、これは理解しがたいことであった。しかし、経済は崩壊し、金融部門は破綻したとなると、何か全く新しいことを実施しなければならなかったのであり、その全ては銀行部門から始まったのである。

1.金融危機

 スエーデンの経験からすると、日本で、何よりも緊急に解決しなければならない問題は、金融危機である。8年前のスエーデンがそうであったように、今の日本は、要するに、不良債権が大きくなりすぎ、銀行の数が多すぎ、なのである。金融部門の破綻が、経済の他部門にも波及して、銀行の貸し渋りによる信用不安に陥っているのが、現在の日本の状況なのである。このような銀行危機を解決することが、日本経済の繁栄にとり、はかり知れない重要性をもっているのは、明らかである。

 大多数の信じていることとは異なるが、この金融危機が、日本経済のシステムに特有な問題ではないことに着目することは、重要である。地価や株価の大幅な上昇や下降があった国々は、同じような危機を経験してきている。たとえば、1930年代や1980年代のアメリカでは、実際に経済へ影響を与えるような銀行危機があったのである。前に触れたように、1990年代初頭のスエーデンの場合も、そうであった。

 スエーデン危機というのは、今の日本の危機に非常によく似ているというだけでなく、その危機解消に成功しているという点からも、日本にとって、特に興味のある研究対象である。日本政府が今とっている対策と同様に、スエーデン政府も、銀行の経営状況をより通 常に近い状態に戻らせるためには、民間銀行が抱えていた不良債権のほとんどを引き受けざるを得なかった。しかし、日本と違って、スエーデン政府は、不良債権引き受けと同時に、効率の良くない銀行を閉鎖して、銀行業界全体のリストラを行うことも決定したのである(いわゆるハードランディング方式である。)。このことは、スエーデンの金融部門再生にとって絶対不可欠だったのであり、これこそ日本にも必要なことなのである。銀行危機に対して早急で強力なリストラ策を導入することは、スエーデンがそうであったように、日本にとっても将来成長する可能性の基礎を作ることなのである。

2.より長期的な見地

 これからの数十年間で、日本経済の底辺をなす特性に起きてくる変化に話を移すと、注目しなければならないのは、その人口構成の変化である。日本の人口構成と家族構成は、劇的なほど関わりあっているのである。日本は、最近、全世界の国々の中でも最長の平均余命を達成している。日本の人口は、2010年でピークとなるが、65歳以上の人口比率は2040年には日本人全体の少なくとも3分の1、1995年の水準の2倍になると予想されている。また、出産率は、女性一人あたり1.4まで下がってきた。このような人口構成では、高齢者人口が健康保険や年金制度に深刻な影響を与えてくる21世紀初頭には、労働人口の極端な不足をきたすと考えられる。このため、日本では、人口の高齢化が進むにつれて、伝統的に高水準であった貯蓄率の低下をみる可能性が高い。このことは、翻っていうと、これを補うだけの生産性の向上が起きない限り投資や長期的な成長率が急激に鈍化することを意味する。

 日本は、自国の文化や経済を変革することで、種々の困難に立ち向かってきた歴史を持っている。今世紀の日本でいうと、農業経済から、ローテク産業、そしてJ2C8産業へと効果 的に移行したように、その産業活動を急速に変化させてきたのであり、21世紀に入っても、迫りくるであろう数多くの変革に対処していくとみられる。私は、ここで、日本経済を長期的に再生するのに必要な構造改革のうち、3つの分野に焦点を当てたいと思う。

3.労働市場

 出てくるはずの構造改革の一つが、労働市場の自由化であり、より多くの女性の職場進出である。これまでの社会通 念では、日本の急速な経済成長は、「終身雇用」システムによる低失業率と転職率の低さ、そして勤労者の企業への忠誠心に負うことが大きいとなっていた。企業側は、幅広い生産活動を経験してもらうことを主眼とした従業員の教育に多額の投資をして、生産性を向上させ、そして企業独自の技術革新を進めてきた。

 人口の高齢化につれて、その終身雇用制度も、今では多くの途上国が抱える即金払い退職制度と同様の問題に直面 している。また労働需要も、通信やコンピューター情報、ソフトウェア、金融といったハイテク分野やサービス分野における、非常に特殊で高度に専門化された労働者へとシフトしてきている。このため、製造業での、広く浅く、企業特有である従業員教育というものは減少してくるだろう。 労働者不足の深刻化への対応から、21世紀には、日本女性に新しい役割が出てくるものと、私は、望んでおり期待もしている。日本女性は、その教育水準からすると、「教育の方が上回っている」というよりも、「充分活用されていない」のが通 常であった。女性の職場への進出は、かなり急速であったとはいえ、日本での女性の就労率は50%に過ぎない(男性のが80%であるのに対し)。

4.規制改革

 日本経済にとり必要な構造調整の第2は、規制改革である。20世紀の日本は、ほとんどの産業に対する高度な行政干渉と規制ということで特徴づけられている。日本の戦後の発展戦略は、行政と民間のパートナーシップに依存していたのである。行政側は、有望産業を選りすぐり、そこでの競争を制限し、研究開発や技術移転に助成を行い、信用供与を促進することで積極的に能力を育成してきた。大規模化や活動範囲の拡大によって経済性が達成可能な産業は、特に優遇され、価格や研究開発、そして生産活動などで協力し合う横断的かつ縦断的カルテルの締結が認められていたのである。行政側は、また、免許制度や規制策、品質管理基準などを複雑化することで、米農家や小規模店舗といった特定の利益グループを自由競争から保護しようとしてきた。

 このような業界利益団体と日本政府の間の密接なパートナーシップは、西欧のそれ、特に強力な独禁政策、市場競争、私有企業の伝統を基礎としたアメリカのそれとは全く相反するものである。日本側は、アメリカのアプローチ方法では、各企業が他社を蹴落とすために真の資源を費やしてしまったり、研究開発費が2重にかかる可能性があり、無駄 を奨励するものだとみなしている。しかし、経済の低迷や、グローバル経済への統合が進んできたことから、日本に対して既存の規制枠を軌道修正して市場競争をより促進すべきという圧力が高まってきている。 私は、21世紀を迎えるにあたって、日本は、その規制環境をアメリカのような他の先進工業国の産業政策により近づけていくべきであると信じている。これは、1980年代と1990年代にヨーロッパ全体でおきたことである。このような改革を行うことは、新規の市場を開拓し、競争を刺激し、外資や技術移転を呼び寄せ、消費者の関心を増大させるものなのである。

5.グローバリゼーション

 最後になったが、グローバル経済の状況が引き続き日本経済の構造改革を促していくだろう。日本は、WTOの下、その市場のさらなる自由化を公約している。輸出の拡大が経済成長につながってきたのが今世紀とすると、21世紀の日本では、輸入品による代用と直接投資(FDI)の内向化が生産性の向上に大きな役割を果 たしてくると考えている。輸入によって、より競合性のある国内ビジネス環境が作られてくるだろう。輸入障壁の排除が進むにつれて、そして国内の流通 <=CQが透明性を増し、OECDの基準に近づいていくにつれて、日本のGDPに占める輸入品の割合は増大し、これによって、国内の生産性は向上する。 私は、また、規制緩和や日本経済の開放度が増すことは、内向きのFDIを生じることになるとも考えている。そのような投資からの競争圧力は、輸入競争と同じように、生産性の向上を促すことになるだろう。

終わりにあたって

 スエーデンには、「トンネルの出口の明かりが見える前が、いつも一番暗いのだ」という言葉がある。日本の危機は、お先真っ暗のように見えるかもしれないが、これが史上初めてではないことを忘れてはならない。日本でも、他国でも、以前に同様な危機はあったのであり、いずれは解決されてきたのである。将来の繁栄の種は、すでに備わっているのだ。必要なことは、成長マシーンが再び機能するようにいくつかの構造改革を行うことなのである。

*原題:「WHY WORRY SO MUCH ABOUT JAPAN?」翻訳事務局

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