2000年11号

教育政策に関する緊急提言


 当財団では、10月3日、平成12年度第1回地球産業文化委員会を開催し、「学力の崩壊 を食い止めるための、教育政策に関する緊急提言」を決定、10月13日、政府、産業界に対して本提言書を提出、併せて記者発表を行った。
 緊急提言書の内容は以下の通りである。


[緊急提言書]
「学力の崩壊を食い止めるための、教育政策に関する緊急提言書」


はじめに

 新しい世紀を迎えるにあたって、日本の教育制度に関する種々の問題が浮かび上がってきている。我が国の産業・経済を支えてきた日本の教育制度は、過去においては世界の手 本ともされていたが、現状では「分数ができない大学生」と言われる程に、日本の学力レベルは急速に低下している。一刻も早く、この学力レベルを回復させなければ、産業・経済総体としての我が国の国際競争力は急速に失われてしまう。更に21世紀の日本を担う若者たちが、来たる新しい世紀に自信、誇りを持って生きる力、を養うためにも、教育改革 の必要性が求められている。

 当研究所では、この様な学力レベルの極端な低下に対する危機感と問題意識の観点から、 平成11年度より、「グローバル市場競争時代における教育・人材育成のあり方研究委員会」(委員長:西村和雄 京大教授)を発足させ、既に大学入学の時点で見られる「学力レベルの著しい低下の問題」を中心に分析を行い、その原因について討議を重ねてきた。学力レベル低下の問題は、受験勉強の弊害を取り除き、子供に「ゆとり」を与えることを目的として1982年の学習指導要領改訂以来進められてきた教育改革、いわゆる「ゆとりの教 育」によって、小・中・高等学校における基礎教科の授業時間数が大幅に減少したこと、 および大学入試における面接入試・論文入試に代表される「少数科目入試」が普及したことが、基礎教科の選択離れとも深く関わって、引き起こされたと考えられる。  

  幾つかの調査の結果、特に日本のトップレベルの大学においてさえ、学力低下の問題が深刻な状況になりつつあることがわかり、このままでは今後、日本の産業・経済界全体においても、「分数すらできない」といった学力レベルの極端な低下や、国際競争力の弱体化 の恐れがある。この現実を真正面から見据えて、日本の教育政策を早急に考え直す必要が ある。もちろん今日の日本の教育をめぐる問題には基礎学力の問題のみならず、創造性や 個性に富む日本人の育成、自然とのかかわりや伝統・文化を育む教育のあり方など、広範 かつ根本的な問題が含まれている。現在、「教育改革国民会議」において21世紀を見据えた 日本の教育改革のあり方が精力的に議論されているが、どの様な改革を行うにせよ、子どもたちの基礎学力の問題をおろそかにすることは許されない。そこで今回、特に「基礎教育の重要性」の観点から、問題解決のための以下の6項目の改善策について、緊急に提言する。

1.2002年度に予定されている「新学習指導要領」実施の全面 中止
2.小・中学校における基礎学力の充実のための「柔軟な学級編成、学習方法」を可能にする
3.高等学校での科目選択性(アラカルト方式)の拡大を中止し、基礎教科を必修に戻す
4.大学入試における英数国の必須化
5.大学における学力水準維持のための、入学定員の弾力化
6.教育行政の分権化



小・中・高等学校での、基礎学力の充実のための改革(提言1~3)

【1】2002年度に予定されている「新学習指導要領」実施の全面 中止
 「ゆとりの教育」つまり「小・中・高等学校における主要5教科(小学校は4教科)の授業時間・内容の削減」は、明らかに学力低下の原因となっている。 文部省が「ゆとりの教育」を推進する理由の一つは、落ちこぼれをなくして、授業の理解度を上げることである が、実際には授業の理解度は上がっていない。この減らされた授業内容を取り戻すことが 急務であるにも関わらず、2002年の新指導要領では、逆に学習内容をさらに3割削減するとしている。この決定をまず撤回しなければならない。OECDの調査結果 でも明らかなように、日本の授業時間は先進諸国中で最低なのである。
 同時に、小・中・高等学校における基礎教科の授業時間・内容の拡充のために、小学校 では国語・算数に、中学校では国語・数学・英語に重点をおく。低学年でしっかり基礎教科を学習するからこそ、高学年での理解度が深まるのであり、基礎教科の学習内容を減らせば理解度が下がるのは、ある意味当然である。「ゆとりの教育」は、意図と全く反対の結果 をもたらしている。


【2】小・中学校における基礎学力の充実のための
「柔軟な学級編成,学習方法」を可能にする

 前項でも述べたように、高学年での理解度を高めるためには、低学年でしっかりとした基礎学力を身につけておくことが不可欠である。そのためにも、以下の様に「柔軟な学級 編成、学習方法」を可能とすることが必要である。

20人程度の少人数クラス編成 :
少人数クラスが学力向上に有効であることは、アメリカ教育省の調査(「クラスサイズ縮小 ―われわれは何を知っているか」)が実証している。実際、アメリカは小学校において、現在でも25人編成のクラスをさらに18人まで減らすこ とを決定している。この政策内容については、2000年5月に20人クラスを可能とする方 針を文部省が打ち出しており、今後はその迅速な実施が期待される。

・習熟度別クラスの編成を可能に:

次項に記す「自学自習のできる教科書」の政策と合わせて、習熟度別のクラスを編成すれば、一人一人の学習スピードに合わせた教育をより効率的に行うことができる。この政策内容についても、2000年5月に習熟度別 クラスを可能とする方針を文部省が打ち出しているが、今後その迅速な実施が期待される。

・教科書の内容を自学自習が可能な詳しいものに:
自学自習のできる教科書で、生徒が自 主的に勉強する形で授業を行い、先生はその補助をする役割に徹する。そうすることによ り、生徒は「自ら考える」ことができるようになり、真の学力を身につけられる。「できない子」は個別 に指導を受けられ、「できる子」も詳しい教科書を使うことにより、どんどん 先へ進むことができる。「できる子」も「できない子」も自分に合ったスピードで学習する ことが可能になり、結果として全ての生徒の学力が向上する。


【3】高等学校での科目選択性 (アラカルト方式) の拡大を中止し、基礎教科を必修に戻す
 高等学校での科目選択性(アラカルト方式)の拡大は、大学進学以外に明確な達成目標 を示せていない現状では、「受験に必要な科目だけを勉強すればよい」という免罪符を与えているだけである。このアラカルト方式を中止し、基礎教科を必修に戻すべきである。
 「高校では、子供たちに科目選択を早くさせて、自己責任を学ばせる必要がある」とい うのは誤りである。自己責任とは、情報が完全に開示されたなかで責任能力がある大人に対してのみ適用される言葉である。高校までは、高等教育を学ぶために必要な基礎学力を しっかりと身に付けることを優先すべきであり、基礎教科が選択の結果捨てられることがあってはならない。実際、行き過ぎたアラカルト方式が学力崩壊を招いたアメリカは、基礎教科を重視する方向に大きく方向転換し、学力崩壊を食い止めた。




大学における教育制度の改革(提言4~5)

【4】大学入試における英数国の必須化
 大学入試で課さない科目については、前項でも述べたように著しい学力低下が起こる。 少なくとも英数国の基礎3教科については、必須にすべきである。全ての大学で英数国を 必須化するのが望ましいが、主要な大学のみでの実施でも少なからず効果 は得られる。「現在の大学入試センター試験を平易化し、英数国を含む必修科目を設ける」というのが、最もスムーズな新制度移行であり、移行に伴う総コストも少なくて済む。各大学はセンター試験で最低限の基礎学力を確認した上で、独自の入学試験を行えばよい。

【5】大学における学力水準維持のための、入学定員の弾力化

 中央教育審議会答申その他において、「大学の入学定員は弾力的に運用すべき」という指針が、既に示されているが、学力水準維持のために、これをさらに徹底する。昨今の少子化の影響もあり、大学によっては定員割れするのを防ぐために、大学入試での結果 が、必要とされる基礎学力に満たない学生も合格させ、定員を埋めようという動きもあるが、学 力低下の問題を防ぐためにも、各大学はいたずらに量の確保に狂奔することなく、質の維 持に努めることが必要である。




教育政策決定プロセスの変革(提言6)

【6】教育行政の分権化
 これまで述べてきたような政策は、教育行政を分権化した上で行うべきである。「ゆとりの教育」政策のように、全国一律に導入しようとすると、失敗したときに取り返しがつか なくなる。必要最低限のことだけを国が規定し、それ以上のことは、各自治体や学校の裁 量として教育の質的向上を競える様に、自由裁量の余地を与える。
 例えば、基礎教科の履修などにおける必要最低限のルールは国が規定する一方、学習指 導要領の中で規定されている指導方法 等については、各地域の自治体や学校などに、より 多くの裁量の余地を与え、教育の質的向上を競える様にする。同時に、その結果 については公表し、情報開示を行なう。結果として、本当に質のよい教育を提供している学校が選 ばれるようになり、全体の教育の質が向上していくことになる。



 添付資料: 学力低下の現状について
 図-1  日本の国立、私立トップレベルの大学における、学力調査の結果


1~5問の全問正解率(1)
学校・学部
1~5問の全問正解率
入試時の数学について
中国トップ校 哲学科
100%
必須
国立トップ校A文化系類
90%
前記必須後期選択
国立トップ校B文学部
83%
必須
私立トップ校a文学部
70%
不要
私立トップ校b人文系学部
66%
不要
母数は各学校ともおよそ100名

1~5問の全問正解率(2)

受験で数学を選択
88.3%
受験で数学を非選択
78.3%

 1998および1999年度に各大学の1年生に対して行った「小学校レベルの算数のテスト 問題」と「そのテスト結果」をまとめたもので、国立、私立のトップレベルの大学におい ても、小学校レベルの算数のテスト問題が解けない学生が数多く見られる。また、これは 入試の際に数学が「非選択」であった場合に、より顕在化している。
  
(出所)戸瀬信之・西村和雄「学力調査1998」及び「学力調査1999」

教育政策に関する緊急提言書 (pdfファイル)
原本ご希望の方は、事務局(担当:永田)迄ご連絡頂きたい。


[地球産業文化委員会名簿]
委員長
 木村尚三郎(東京大学名誉教授)
委 員
 阿比留雄(日本原子力発電株式会社会長)
 石井威望(東京大学名誉教授)
 岩男寿美子(武蔵工業大学環境情報学部教授)
 牛尾治朗(ウシオ電気株式会社会長)
 茅 陽一(慶応義塾大学大学院教授)
 北岡伸一(東京大学法学部教授)
 公文俊平(国際大学グローバルコミュニケーションセンター所長)
 香西 泰(社団法人日本経済研究センター会長)
 河野光雄(内外情報研究会会長)
 小島 明(日本経済新聞社常務取締役)
 島田晴雄(慶応義塾大学経済学部教授)
 中西輝政(京都大学総合人間学部教授)
 中村桂子(JT生命誌研究館副館長)
 福川伸次(株式会社電通電通総研研究所所長)
 森嶌昭夫(財団法人地球環境戦略研究機関理事長)
 薬師寺泰蔵(学校法人慶応義塾常任理事)
                     (敬称略 五十音順)
                        (文責:永田伸二)

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