2007年1号

官民連携を考え直そう

fukukawa1
 
  小泉内閣以来、「官から民へ」という流れが定着した。安倍内閣もそれを踏襲するであろう。そして最近では、「私は民」、「公は官」という観念が薄れ、「公」の役割を「民」が担うようにもなってきた。

 たしかに、伝統的に「公」と見られてきた業務を「民」が実行した方が効率的に運営されるものもあるが、何でも「民」に委ねればうまくいくというわけではない。私は、「官」と「民」の適切な連携が必要な問題も多いと考えている。

 「市場」というものは、本来、供給者と需要者の合理的な選択によって最適な資源配分を保証する機能を持つ。しかし、市場は、常に完全であるといいう保証はない。社会資本の供給、安全の保証、環境の保全などは、市場機能で解決することはできない。リスクの大きい技術開発にしても、教育水準の向上、文化活動の進化、労働条件の適正化などにしても同様である。

 最近では、企業の製造物責任や社会的責任にもとるような不祥事件が数多く発生するようにもなっている。

 要するに、或る状況や条件のもとでは、市場は資源の最適配分に失敗するので、その欠陥を人類の英知によって政策的に補正しないと、社会の厚生は確保できないのである。

 さて、市場の欠陥を補正するのは誰かということになれば、それは政府ということになる。問題は、政府も往々にして失敗することである。民主主義社会の多くにおいては、政府は国民の付託に基づく議院内閣制に準拠することになるが、政治の場では、選挙の利害関係が全体最適を曲げることが往々にして起こり得る。私は、そこに官民連携が必要な背景があると考えている。

 官民連携は、さまざまな局面でその機能を果たす。その第一は、政策選択のための合意形成である。政策の立案にあたっては、通常、問題の評価と解決のために調査分析がなされるが、その公的な客観性を保つために、関係する「官」と「民」の協力が欠かせない。

 地球温暖化に例をとれば京都議定書のようなキャップ方式が必要であるかどうか、省エネルギー推進について省エネ家電や低公害車の普及にどのような誘導措置が適切であるかなどを客観的に評価する必要がある。

 最近、商品安全を損ねる企業の不祥事件が多発しているが、どこまで事前規制で介入すべきか、事後監視に委ねるべきかについても官と民の良識ある合意形成が必要となる。

 政策選択においては、特定の手段を採用する必要性と有効性、そしてそれを採用した場合の副作用などを比較衡量しなければならない。現在は、通常、審議会などで意見集約され、また時にパブリック・コメントが求められるが、質の高い官民連携があってこそ、適切な政策選択が実現できるのである。

 第2は、政策実施上の効果についてである。規制を実施する場合でも、誘導的な手段を実施する場合でも、その対象となる企業や市民がその意味を十分に理解し、これに協力する態度をとらなければ、政策効果を十分に達成することにならない。

 これまでに実施されてきた貿易黒字減らしのための輸入品の購入、石油危機の際のエネルギー節約、地球温暖化防止のための省エネルギーなどについても、政府が一方的に呼びかけても民間の協力がなければ、効果をあげることにはならない。

 第三は、政策の実施を監視することである。消費者による商品の安全検査、商品取引や割賦販売に関する適正取引の確保措置などがそれである。

 環境アセスメント制度は、住民による監視機能を担保するものであるし、公益通報者の保護措置も同様である。

 さて、官民連携を充実するために何が必要であろうか。

 第1に、関係者に適切な情報提供がなされることである。社会の諸条件や意識は常に変化するし、技術も進歩する。こうした点に関して官と民が情報を共有することが官民連携を進める前提である。

 第2に、官と民のコミュニケーションを高めることである。コミュニケーションを通じてこそ相互理解が進み、相互信頼が生まれるからである。

 第3に、議論と認識の質を高めることである。官と民がそれぞれの立場で客観的な分析や科学的な知見で能力が充実していることが最適な選択につながるからである。

 官民連携の充実は、日本社会に潤いと信頼をもたらすに違いない。我々は、官民連携の意義をもう一度考えてみる必要がある。

 

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