1994年9号

第10回地球規模の問題を考える懇談会から―[個人]モデルの問題点 近代西欧の個人という人間観が現代の人権問題や経営論に与えた影響―

 まず、この「個人モデル」という言葉、みなさんには耳なれない言葉ではないかと思います。個人主義という通 りの良い言葉のかわりに、こんな変な言葉を使ってみましたのは、個人主義という言葉は、すでにいささか手垢がついてしまっているからです。ここでは普通 、個人主義という言葉が使われる領域をこえて、より広く話を進めて行きたいと思いますので、あえて、「個人モデル」というこなれの悪い言葉を使ってみようというわけです。

 今日ここでお話したいと思っているのは、この「個人モデル」に基づく考え方というものが、今の世界の目に見えない大きな潮流をなしている、ということなのです。たとえば、ソヴィエト連邦が崩壊したこと、世界各地でフェミニズムというものが流行となっていること、あるいは、日本で商法が改正(改悪)されて、株主代表訴訟というものがたいへん起こしやすくなったこと--これらのことは、一見すると全く互いに関係ないでき事のように思われます。ところが実は、後でお話しますように、「個人モデル」ということを念頭に置いてこれらのでき事をながるめると、そこに、ある繋がりが見えてくるというわけなのです。ただし、どうも日本の世の中で、なにかが「潮流をなしている」なんて言いますと、すなわちそれが良いものであるということなのかと誤解されてしまうのですが、ここではむしろ、その潮流を批判するためにこそ、それを問題にしたいと思うのです。

 では、「個人モデル」に基づく考え方とはどんな考え方なのか--一言で言えば、それは人間を個人として見る、というものの見方です。これは一見すると実にもっともらしい考え方のようにも思われます。人間というものは、一人で生れ、一人で死んでゆく。これが人間というものの基本的な事実であるということは、確かに誰も否定できません。ところが、「個人モデル」に基づく考え方というものは、単にこのような基本的な事実から人間をとらえようということではないのです。それはむしろ、人間というものを、ある非常に特殊な観点から眺めようとする「イデオロギー」なのです。

 そもそも人間というものは、一人一人が独立した存在であるという側面 と、家族、社会、民族といったものの中にあってはじめて存在しうるという側面 とが、切り離しがたくむすびついています。たしかに人間は一人で生れ、一人で死んでゆくものであるし、一人一人が自分自身の意志というものを持っています。けれどもそれと同時に、人間は他の人間のなかで育てられることによって、はじめて人間として生きてゆくことができます。その両側面 があるということこそが、本当の意味での「人間の基本的事実」だと言えます。たとえば、言葉というものについて考えてみましょう。人間のもっとも人間らしい特色のひとつが言葉を使うということにある、ということは、よく言われますが、その言葉というものは、人間が一人で放っておかれたら決して覚えることができないものです。まだ物心のつかないうちから、親たちの喋る音が自然に耳に入ってくることによって、無意識のうちに身に付くのが言葉というものです。つまりこのように、ほかの人間たちのなかに生れてくることによって、はじめて人間は人間でありうるのだ、とも言えるのです。この二つの側面 --独立した存在としての側面と、家族、社会に結び付いたものとしての側面 --は、ちょうど卵が先か、ニワトリが先かという議論のようなもので、どちらか一方を先に立てるということが不可能な関係にあります。それを、無理矢理に「独立した存在としての側面 が先立つ」と決め付けてしまうのが、この「個人モデル」という人間観なのです。

 このような特殊な人間観は、決して日本のなかにもともとあったものではありません。「個人」という言葉自体が、実はもともとあった日本語ではなく、明治時代、individualという西洋語を訳すためにわざわざこしらえた、いわゆる翻訳語だったのです。この「個人」という言葉を、もともと日本語のうちにある「自分」という言葉と比べてみると、この二つの言葉の背景をなしている人間観の違いがよく分かるのですが、「自分」という言葉は確かに人間の独立して存在するという側面 をよく表現していると同時に、世の中や他人あってこその自分であるという側面 を、十分によく意識した言葉となっています。これに対して、「個人」という言葉には、そのような成熟した両面 的な認識は、まるでうかがうことがではません。それでは、この「個人」(individual)などという特殊な人間観は、いったいどのようにしてでき上がってきたのでしょうか。また、そなん奇妙な人間観がどうして日本のなかにまで入り込んでくることになったのでしょうか。そしたまた、この「個人モデル」に基づく考え方が、現在の世界を支配する勢いをもつまでになったのは、いったいどうしてなのでしょうか。いま、しばらくヨーロッパの歴史をふりかえって、その答えを探ってみることにしたいと思います。

 このような特殊な人間観というものは、ヨーロッパにおいても、決して初めから表面 に現れ出ていたものではありません。ヨーロッパの長い思想の歴史のなかで、しだいに形をとって現れて出てきたものなのですが、ここでは、その思想の歴史の全部をたどってみる時間はありませんので、そのなかでも最も分かり易く、重要な部分だけをとりだしてご紹介してみたいと思います。「個人モデル」に基づく人間観が、最も重要な意味を持つのは、法思想にかかわる領域です。法というものは、必ずなんらかの根拠があって、それに基づいてでき上がっているものなのですが、ヨーロッパにおいては、歴史のある時期に、「個人」をその根拠に据えてしまうという、とんでもない法思想が現れでてきます。その「とんでもない法思想」の誕生ぶりをここでご紹介してみることにしましょう。

 そもそも法というものは、人間の一人一人を越えたものを根拠として裁くからこそ成り立っているものだと言うことができます。なにしろ、法とは、それによって人間一人の命を奪うこともできるという、絶大な力をもつものなのですから、よほど絶大な、一人一人の利害を超えたところに根拠が据えられていなければ、「法」として機能することは不可能なのです。たとえば、ヨーロッパの中世から近代にかけての長い期間、法の根拠として最も大きな力を持っていたのはキリスト教神学の教えでした。その当時の法学者といえば、かならず神学者であって、旧訳聖書や新訳聖書を拠り所にしながら法理念の議論を進めていたものでした。はたあるいは、イギリスでは、13世紀にある有名なマグナカルタというもが出てきますが、これも決して「個人」を法の根拠に据えたというようなものではありませんでした。イギリスは12世紀のノルマン・コンケストによって外国人の王様の支配下にはいってしまったわけですが、その外国人王に対して自分たちの国の「古来の法」を主張したのがマグナカルタというものだったのです。すなわち、そこでは伝統と慣習というものが法の根拠となっていた、と言うことができましょう。

 さてそこに、17世紀のイギリス人、トマス・ホップスという人があらわれます。彼は、それまでのヨーロッパで、聖書を拠り所として作り上げられてきた「自然法」という考え方を、ある種のトリックと言っても良いような仕方で、人間各人が本来にもつ「自然権」という考え方へと転換してしまうのです(当時の学者たちの使っていたラテン語の用語では「自然法」も「自然権」もどらもJus naturareという言葉で表わされていたのですが、ホップスは、これを英語で区別 して、natural lawとnatural rightと呼びわけます。その上で、natural rightはnatural lawに先立つ絶対的な根拠である、と主張したのです)。ホップスのこの主張の拠り所となっていたのは、人間は各人がそれぞれに自分自身の生命、すなわち「自然」、を所有している、という理論でした。ところが、この理論によって社会全体の仕組みを考えようとすると、非常に困ったことになります。というのも、人間各人のもつそれぞれの生命が法というものの絶対の根拠だということになると、各人の利害が対立したときに、それを大所高所から調停できものが何もなくなってします。各人は各人の生命を守ろうとして、いわゆる「万人の万人に対する戦争状態」というものに陥ることになってしまうわけなのです。そこで、結局のところホップスは、ふりだしに戻ることになります。すなわち、人間は各人の「自然権」を国家のうちに預け渡して、国家に全体的な権力をもってもらい、各人の安全を確保する、ということに落ち着くのです。言ってみれば、ホップスという人は「個人モデル」に基づいて法理論を作り上げようなどとしたらどんなことになるか、ということを身をもって実験してみせたいのだとも言えるのです。

 話がここですんでいれば、法思想の世界から「個人モデル」に基づいて考え方が全世界に広まるなどということもなかったはずですが、彼の半世紀ほど後にジョン・ロックという英国人が出て参ります。この人が実にインチキな人でして、彼もまたホツプスの真似をし、人間各人のもつ「自然権」がすべてに先立つと主張します。ところが、それと同時に、彼はホップスの考え方の出発点であった「法理論を神のもとから独立させる」ということを完全に無視して、もう一度、言わば裏口からこっそりと神様を引き入れてしまうのです。つまり、人間各人のもつ「自然権」は神の与えたものであって、だからこそ侵し難いものであると同時に、「万人の万人に対する戦争状態」などにおちいる心配はないのだ(ただ最低限の保証をしておけばよいのだ)という理論を作り上げるのです。ロックのこの理論がそのままはアメリカの独立宣言のなかに謳われているのは、皆さんも御存じのとおりです。これはまた、ちょうどその時期にフランスで起こったフランス革命の理論としても利用され、ヨーロッパへと逆輸入されたような格好になります。こんな風にして「個人モデル」に基づく考え方というものが、たまたま政治的な成り行きによって、あたかも確固とした思想であるかのように、世に罷り通 ることになったというわけなのです。

 この「個人モデル」イデオロギーとも言うべきものは、20世紀後半の地球においては「民主主義」の名のもとで、反抗するどころか疑問を呈することさえ許されない、絶対のイデオロギーとしての地位 を固めてきました。旧ソ連の共産主義体制というものは、名前だけは「民主主義」を標榜しながらも、実際にはひそかなる「反個人モデル」イデオロギーとしてはたらいていた部分がありました。皆さんご承知のように、この「反個人モデル」イデオロギー対「個人モデル」イデオロギーの戦いは、はっきりと決着がついてしまいました。世の中ではこの戦いを共産主義対反共産主義の戦いだったかのごとくに考えているようですが、私はこれはむしろ「個人モデル」イデオロギーをめくる戦いだったと考えています。

 それからまた、まるでそれとは関係のない話のように見えますが、20世紀後半の世界にひろまった流行にフェミニズムというものがあります。たとえば現在の日本では、この連中が夫婦別 姓などということを唱えたりしているのですが、この流行の根底にあるのもやはり「個人モデル」イデオロギーにほかありません(だからこそ、夫と同じ名字に変わるのは個人の尊厳を傷付けるものだなどと言い立てるのです)。

 さらに、さきほど話の出ました、最近の商法改悪と言うでき事。これも一見するとこのどちらとも無関係な話のように見えます。けれども、これもまた、はっきりと「個人モデル」イデオロギーに基づいたでき事なのです。つまり、「株主」という個人の利益を守ることが資本主義(文字通 りのキャピタリズム)というものの至上命令だというわけです。これまでの日本のいわゆる資本主義なるものは、このような露骨なキャピタリズムではなく、会社の従業員たちが皆で一生懸命働いて、会社の利益も上げ、自分たちの生活を確保してゆこうという、西洋人たちに言わせれば、ほとんど社会主義に近いとさえ言えるものだった。それを、これまでよりも一段と「露骨なキャピタリズム」に近い物にしてしまおうというのが、この株主代表訴訟をめぐる商法改悪の正体なのです。

 そしてもちろん、この「個人モデル」イデオロギーが一番生のかたちで表われ出ているのが「人権」をめぐるさまざまのキャンペインです。アメリカは、これを外交の場面 にまでもちだし、いわゆる「人権外交」なるものを押し進めようとしています。これに対して、日本は、はなはだ曖昧な態度をとっているばかりですが、アジア各国の中からは反発の声も上がっています。それは、単なるアメリカの横暴な態度への反発というだけではなく、そもそも「個人モデル」イデオロギーそのものを見直そうという問い掛けが限定にあるような気がします。

 「人権外交」にかぎらず、この問題は、いつも直接に国とくにとの問題として--ことにアメリカとの付き合いにおいて--問題の中心点となります。たとえば、日米交渉の場において、アメリカの主張というものは、実際にはほとんどが単にアメリカの国益の主張であって、それ以上でもそれ以下でもないのですが、彼等は常にそれを普遍的な理念の主張として持ちだしてきます。そして、そのときもっとも多いのが「個人モデル」イデオロギーに関連した理念なのです。「自由競争」の理念、「消費者重視」の理念、「官僚主義批判」--表現は様々にちがいますが、いずれもその根底に「個人モデル」イデオロギーをひめているという点では同じです。そのようなアメリカの主張に対しては、われわれも、正面 切って、それをイデオロギーとして批判してゆくことが必要だと思います。日本人の中には、「外圧だのみ」などと称して、そうしたアメリカの主張の都合のよいところだけを取り上げて、一緒になってはやしたてる人がありますが、あれはいけません。まず、かれらの主張するイデオロギーをイデオロギーとしてしっかりと批判したうえで、現実の問題として歩み寄れるところは歩み寄るし、相手の主張の矛盾しているところは遠慮なく指摘して行く。それが交渉というものだと思います。そのような「タフ・ナゴシエーター」になれるためにも、もう一度、この20世紀の思想的専制君主「個人モデル」イデオロギーというものをよく知っておくことが大切だと思うのです。

 

▲先頭へ