1996年6号

ジャパンヴィジョン第二部レポート「日本外交の改革」 ―はじめに

はじめに


 世界は冷戦の終焉から7年目を迎えている。この数年間に起こった変化は、第二次世界大戦後、もっともめまぐるしいものであった。1989年の東欧の革命、1990年のドイツ統一、1991年のソ連解体といった国家体制の巨大な変革があり、1990-91年の湾岸戦争、1993年のソマリアと1994年のルアンダの混乱、1990年依頼のボスニアの内戦などの非冷戦型の紛争があった。その一方で、中東和平や南アフリカの改革など、長年の問題が解決の方向に向かい、1992年のEUの統合、1993年のWTOの成立など、世界の統合に向けた新たな大きな動きも生まれた。

 この間東アジアでは、インドシナではカンボジア和平が達成され、NIES、 ASEAN、中国を中心とする経済発展が進んでいる。朝鮮半島における緊張は変わっておらず、中国の軍拡・核実験・中台関係の緊張、南沙群島問題などを抱えながら、東アジアは全体として自信をつけ、自己主張を強めている。

 こうした国際関係のダイナミックな展開の中で、日本はさしたる役割を果 たせなかった。日本国内では、1993年の自民党長期単独政権の崩壊、1994年の自社連立政権の誕生と社会党の政策転換といった、冷戦の終焉に関係する大きな変化はあったが、それは世界の中で意味のある変化を生み出してはいない。日本の外交は、基本的には受動的なままであった。

 しかし、昨年は日本の自己主張がやや強まった年であった。日米自動車協議や、中仏核実験や、沖縄米基地問題に対して、日本はかなりはっきりとノーと言ったのである。受動的な外交にせよ、自己主張的な外交にせよ、それだけで良いとか悪いとか言うことは早計である。より重要なことは、それがどのような考察に支えられ、どのような結果 を生み出すかということである。

 この文章が目的とするのは、中長期の見通 しの上にたって、日本外交に対するやや根本的な検討を行い、その改革を提言することである。そのために、まず、戦後の日本外交がどのような道を歩んできたのか、戦後外交の最大の形成者であった吉田茂の決断の後を追う形で、振り返ることとしたい。(1)


  1. このレポートは、北岡伸一(立教大学)と竹中平蔵(慶應義塾大学)をリーダーとし、青木節子(防衛大学校)、石毛博行(通 産省)、上田信行(日本長期信用銀行)、浦田益太郎(通産省)、星野俊也(日本国際問題研究所)、細川昌彦(通 産省)をメンバーとするグループによるものである。ただし、レポート本体は北岡の責任によって執筆したものである。

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