1996年6号

ジャパンヴィジョン第二部レポート「日本外交の改革」 ―4. 世界の安定と発展のために

4. 世界の安定と発展のために

 WTOの将来と日本の貿易政策

 以上のようにアジアの安定と発展に寄与することが出来れば、それは大きな成果 であるが、日本はさらに世界全体の安定と発展のために寄与することが出来る。それは、軽武装の貿易国家である日本の基本的利益でもある。

 冷戦の終焉とともに、貿易問題の比重は一段と上昇した。かつては安全保障問題の影に隠れていた貿易の問題が、しばしば国家間の最重要議題として扱われてようになっている。先進産業諸国の間では、今後は武力紛争などは考えられないが、貿易をめぐる紛争はいっそう激化すると予想する論者が少なくない。

 過去の日本の政策の特質は、アメリカとの関係が圧倒的だったこと、二国間協議を中心としていたこと、貿易紛争の加害国として批判され、弁明に追われることが多かったことである。

 しかしながら、ウルグアイ・ラウンド(1986-94)において、変化が起こりつつある。その間に日本は初めてGATTに対して提訴してパネルを設置し、勝利を得た(1988年パネル設置、90年勝訴)のである。日本はたんなるルール・フォロワーから、ルール・ユーザーへと変わる第一歩を踏み出したのである。さらに1992年、通 産省の産業構造審議会は不公正貿易報告書を発表し、他国の慣行の不公正な部分を指摘することを始めたのである。これまで日本はいわば貿易紛争というゲームにおいて、「専守防衛」であったのが、普通 のプレイをするようになったのである。(7)

 1994年の細川クリントン会談の決裂、1995年の日米自動車問題は、こうした流れの中でとらえるべきである。細川クリントン会談では、日本はいわゆる数値目標を拒否して決裂した。また自動車交渉においては、アメリカが制裁を示し、日本の自動車メーカーがこれを恐れて「自主的」に部品輸入目標を発表し、日本政府はこれに関知しないと宣言して、決着した。WTOの無力を説く人があるが、逆にWTOは抑止力としてよく機能したと言うべきだと考える。

 今後の日本の方針としては、次の点を強調したい。

  1. 日本の物価は根世界的になおかなり高い水準にあり、輸入の増大によってこれが下がることは避けられない。その際、輸入の増大は日本の消費者の利益であり、また外交的に有利なカードであることを認識すべきである。

  2. 貿易紛争の解決は、世界を相手に、またルールを重視した解決とすべきであって、アメリカ一国を相手にミクロ・レベルの約束をすべきではない。

  3. アメリカは結果 志向だなどと言うが、結局は自由の原則に問題に回帰する。強引なミクロの数値目標のような、アメリカの良識あるオピニオン・リーダーが支持しないような政策を受け入れる必要はない。

 アメリカの経済の好調と、日本の輸入の拡大傾向を反映して、アメリカの態度はやや柔軟になってきたかもしれない。現在進行中の保険・半導体、フィルムなどの問題は、それほど解決が難しいものではない。重要なのは、原則であって、結果 ではない。

 WTOはまた十分に強力というわけではない。たとえばアメリカが自動車問題で日本の高級車に高関税をかけることを発表すると、日本のメーカーは、その実施前に輸出を停止せざるをえない。出荷してから高関税を課せられては売れ残るだけだからである。したがって、関税はアナウンスだけで効果 を持ち、メーカーは損失をこうむる。その行為が違法だったとして、それを事後的に保障しなければ本当はフェアではない。しかし、そこまで国内法に踏み込むことはかなり難しい。ある程度緩やかなままにしておくことの方が賢明であるように感じられる。

 安全保障と貿易

 今日の世界の大きな課題の一つは軍縮である。ところが、輸出する側にとって武器は極めて有利な貿易商品であり、自衛のためにこれを輸入しようとする国もあとをたたない。武器に関連した商品や技術もまた同様である。ここに武器の拡散をいかに防ぐかという問題が生じる。

 かつて冷戦時代には、ココムとチンコムが拡散阻止の代表的な制度であった。すなわち、西側から東側へ武器や武器関連商品および技術の移転を阻止していた。しかし冷戦の終焉とともに、この制度は1995年に終了した。これに代わる貿易管理システムが必要となっている。

 冷戦のさなかから、すでにいくつかのシステムが成立している。核不拡散(NPT)もその一つである。日本は昨年、NPT無期限延長に賛成し、その強化に努力している。ブラジル、アルゼンチン、南アフリカなど、かつて核開発の疑惑をもたれたり、その権利を保留した国々も、この権利を放棄しつつある。NPT参加国は、これまでになく増えているのである。

 核とならぶ大量破壊兵器である生物学兵器、化学兵器については、すでに合意が成立している。もっとも、化学兵器については、貧しい国でも作成可能な大量 破壊兵器であり、世界に疑惑のある国は多い。さらに、ミサイル関連技術については、これを制限ないし禁止する制度がすでに成立している。しかし、中国がミサイル関連技術をパキスタンへ輸出したという疑惑が抱かれており、この制度も完全ではない。

 通常兵器については、日本は92年にEUと共同で国連に通 常兵器移転登録制度を提唱し、これを実現している。予想に反して、ごく簡単なものではあるが、中国もこれについての報告書を出している。軍備の透明性の向上という点で、これは大きな貢献であるといえる。

 さらに残っているのが、ココム、チンコムに代わる汎用品の規制である。すなわち、武器ではないが、高度の武器を作るために有用な汎用品などを規制しようとする動きである。この場合、重要なのはエンド・ユーザーの確認である。どのような商品をどの国へどういう条件で輸出するのを許可するのか、かなり込み入った問題である。しかし、それが政府のなすべき仕事である。これまでアメリカに任せてきたことを、日本の政府が真っ向から取り組むべきである。そうすることによって、日本は本当に世界の秩序を担うことになる。(8)

 日本のような貿易国家にとって、世界の軍縮を実現すること、少なくとも軍拡を防ぐことは極めて重要である。日本はかつて武器輸出3原則を持ち(共産圏、紛争国、国連の定めた国への輸出を自粛する)、さらにこれを強化して、武器輸出を原則禁止としていた。

 国連常任理事国の問題

 最近なりを潜めてしまった感じがあるが、国連常任理事国入りの問題がある。これは是非とも実現すべきものである。

 この問題については、推されてなるべきものだ(田中秀征)とか、他の国連改革と一緒でなければならないとか、常任理事国となると新たな責任が生じて危険だとか、奇妙な反対論がある。常任理事国は、世界の国々がなりたがる地位 であって、推されなければならないというのは、ずいぶん傲慢な意見である。他の国連改革と一緒というのは、言うはやすくして、かえって改革を遅らせるものである。常任理事国になれば軍事的な義務が増えるというのは、事実に反する。

 国連による平和というものは、ガリ総長が1992年に提案した peace enforcementが挫折したことによって理解されるように、大規模な力になるのは難しい。先進産業諸国が軍事に関与することに消極的だということは、先に述べた通 りであり、また国連には深刻な財政問題がある。国連が大きな棍棒を持った警察官になることはありえないことである。実はその観点からしても、日本のような軍事に臆病な国が常任理事国にいることはいいことなのである。

 日本に十分な準備があるかという疑問もあるが、中国は棄権が多く、ロシアも十分な役割を果 たしているとは到底いえない。英仏も支出費用はずいぶん少ない。総合力で、日本とドイツが常任理事国となることは当然のことである。現在のところ、日本は米英仏に比べれば、非軍事的な時間をかけたアプローチをするところに特色がある。そういう国が安保理事会に入っていることは、国連にとっても良いことだと考える。それがまた、日本の外交的判断能力を訓練する良い機会にもなるだろう。(9)

 文明の衝突と民主主義の問題

 今後世界の対立の要因となるかもしれないことに、サミュエル・ハンティントンが提唱した「文明の衝突」論がある。その西洋中心主義的発想に、多くの文明が反発した。少し最近は話題にならなくなったが、依然としてこれは重要な問題であり続けるだろう。

 強く反発した地域の一つはアジアであった。経済的繁栄による自信を背景に、アジアにはアジアのやり方があるという反発があった。しかし、それは、かなりの程度、経済の発展段階によるものだと考える。権威主義的な政治が、やがてより自由化することは不可避だと思われるし、途上国の経済において政府の役割が大きいのは不思議ではない。

 こうした点においても、最近のASEMの首脳会議は意義のあるものであった。たしかにアメリカはデモクラシーであり、市場経済である。しかしアメリカは西洋文明の典型とは到底言えず、かなり特殊なタイプのデモクラシーであり、マーケットである。その事実を、政府の役割がより大きいフランスやドイツと交流することによって、理解することが出来る。

 この点、日本は長い歴史がある。日本の政党の歴史は、1881年にさかのぼる。憲法は1889年に成立し、議会は1890年に開かれ、政党が最初に政権を掌握したのは1899年のことである。これはドイツなどより、はるかに早い。また市場経済については、江戸時代に全国大の市場を作り上げた実績がある。

 そういう日本でも、西洋との摩擦が起こると、日本はがんらい農本主義だと言ったり、古来の淳風美俗を強調することになった。実際のところ、資本主義の発展とともに、農業は衰退し、権威主義的家族は衰退していたのである。西洋文明の押し付けや、急速な輸入は、伝統的な文明を過度に協調し、必要以上の摩擦を生じさせることがあるのである。リー・クアン・ユー元シンガポール首相の西洋文明批判も、かつての日本のリーダーと同様、失われ行くものに対する焦りから来ているのかもしれない。

 ともあれ、100年以上にわたって、日本は近代化を進めてきた。西洋のデモクラシーや経済活動になじんできた。民主化や市場の自由化を性急に求めるアメリカには、それをたしなめ、アジア固有の文明だと言うアジア人には、そうでない所以を説明出来る。日本は二つのアイデンティティを持っているが、それは積極的な意味を持ちうるのである。その効果 はアジアだけではなく、世界に及ぼすことが可能だろう。


  1. 石毛報告による。
  2. 細川報告による。
  3. 星野報告による。
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