1996年1号

第5回「冷戦後の世界と日本の安全保障改革の シナリオ」研究委員会から 「インド洋を巡る安全保障問題」

インド洋を巡る動き

 インド洋は海のシルクロードということで、従来から重要なポイントの一つであったが、この地域が特に話題になったのは、英国の撤退とそれに代わるアメリカの進出で起きた60年代、70年代である。この時期に出始めたのがインド洋をめぐるゾーン・オブ・ピースという考え方である。続いて、82年の海洋法で200海里問題が出てきたことで、インド洋に関しての経済的な利害ないしは関心が出てきた。さらに、大きいのは冷戦の終結で、それまでの米中とパキスタン、ソ連とインドという二つの関係が消滅した。もう一つは、特に南アジアあるいは東南アジアにおいて、いわゆる多民族国家が崩壊傾向を見せているという問題、それから非同盟の意義が消滅しつつあるという問題、さらには中央アジアにおける同様の問題、イスラムの問題もあるということで、恐らくはインド洋をめぐる幾つかの動き、要因を考えると、そのような問題が出てくるであろう。

 そのような基本的なポイントに加えて大きな動きとしては、次の三つが考えられる。一つは、ディエゴガルシア島にアメリカ海軍を中心とした海軍基地ができ上がった。これが大きくインド等を刺激したという要因がある。2番目が中国である。中国はインド洋あるいは沿岸国、特にミャンマー、パキスタン、タイに対する支援を続けている。3番目がフランスで、基地を持っている。また、シェイシェレスとか、モーリシャスとか、マラガシイに対する援助を提供し、あるいは武器輸出を行っている。アメリカ、中国、フランスといった国々の動きが、軍事的な面 から見ると重要だろう。

 インド洋を巡る動きでは、一方で防衛問題、安全保障問題、軍事進出といった問題があるが、他方では、沿岸地域において地域協力の動きが出始めているということが大きな特徴である。

 その具体的な例としては、南アジアにおける南アジア地域協力連合(SAARC)がある。2番目に、ECOという経済協力機構は1985年に出来たが、当初は小さな経済協力組織だったものが、徐々に中央アジアまで活動領域が拡大している。さらには、インド洋地域国際フォーラムというのが出来上がりつつある。これはまだ歩き始めたばかりで、今年の6月にインド洋、南アジアを中心にした地域協力をつくろうということで始められたもので、もとは、今年の3月に政府間国際会議でそういった問題を考えようというところが出発点だったが、6月になって、フォーラムが出来上がった。

 もう一つ目立つ動きとしては、インドがインド洋沿岸国に対して関係を深めている。94年以降を見ると、例えばシンガポールのゴー首相の訪印であるとか、ラオ首相のベトナム、シンガポール訪問、南ア外務次官の訪印、あるいはマンデラ大統領の訪印といったように、かなりインドと沿岸国の間の交流が盛んになっている。もちろんこれは、経済的要因と言えるだろう。つまり、インドから見れば東南アジアには印僑が大変多く、アフリカにも印僑がいるということで、印僑との関係、あるいは東南アジアとの経済的な関係がある。

南アジアの状況

 インド洋が、他の二つの太平洋、大西洋と違うところは、インドが真ん中にある。そうすると、インド洋におけるインドという存在というのは、どうしても無視できない。インド亜大陸というのも無視できない。この点が大きな特徴であろう。

 さらに南アジアという地域についても、インド、パキスタン、バングラデシュ、ネパール、スリランカ、モルディブ、ブータン、全部で7カ国になるが、インドだけで全体の面 積、人口、GNPの約7割を占めるリージョナルな大国であるということが一つの特徴である。

 加えて、インド自体が1971年の第3次印パ戦争以降、かなり急速に大国志向を始めている。1974年の原爆実験、シッキムの併合、スリランカでのタミール人の独立運動に対する介入問題、また1988年になると、モルディブで起きたクーデターに対して、海軍を派遣して鎮圧するといった一種の大国的な行動に出るという事実があるので、南アジアの中でインドの動きというのは無視することが出来ない。

 もう一つは、インドがその他の国の周辺国という関係にある。つまり亜大陸を考えると、インドの周りに全部国が隣接している。極端に言うと、大国対中小国という構図が出来上がる。インド以外の国にとっては、対インド関係というのが安全保障、国際関係にとっては最大の問題になるという傾向がある。

 パキスタンにとってはインドからの脅威感というのが常にある。当初は東西のパキスタンに分かれ、インドを両パキスタンから挾撃にするということで心理的な安定感を持っていた。しかし、1971年に東パキスタンがバングラデシュとして独立することになって問題になった。基本的にインド、パキスタン関係を考えるときに言われていることは、インドに対するパキスタンの平衡願望である。そのために、印パ関係というのは常に問題が起きるということがある。

 複雑なのは、インドの核問題及びミサイル問題ということになろう。

 インドはNPTに参加していない。基本的な理由は、中国が核を持っているからということがあると思われる。パキスタンの方はインドが持っている限りはNPTには入らない。

 もう一つの問題はミサイルの開発である。インドの場合は中距離ミサイル、アグニというのがあり、射程距離が2,400とも2,500とも言われており、北京まであるいは中央アジア、中東まで入るので、このアグニの問題が非常に大きい。パキスタンはこれに対して対抗措置に出ている。それが具体的にはM11ミサイルであり、あるいはF16戦闘機の問題である。

 常にインド、パキスタンの間に軍事的な競争が続いているという状況になっている。ただ、一つ注意しておきたいのは、80年代末からインドもパキスタンも新たな武器拡大、増強をしていない。これは大きな特徴の一つとして言えるだろう。

 印パが核問題あるいはミサイル問題で対立を繰り返す中で、一番大きな問題はカシミール問題である。1947年、48年から始まって第1次印パ戦争、1965年の第2次印パ戦争、さらには1971年の第3次印パ戦争(バングラデシュ独立戦争)があったのだが、少なくとも第1次、第2次についてはカシミール問題が直接の原因である。1971年は東のパキスタンとの問題だったが、第3次印パ戦争の終局のころにはカシミールの方に戦線が移っていたということで、しかも第3次印パ戦争を収束させることになった1972年のシムラ協定も内容はほぼカシミール問題である。詰まるところ、インド、パキスタンの問題というのは、このカシミール問題につながる。

 このようなインド、パキスタン問題を考える時に、アメリカの存在というのは無視出来ない。まず言えるのは、アメリカとインド、パキスタンとの関係の変化である。これは地政学的な意味の消失、例えば、1990年10月のF16の搬出をやめた。この理由はアフガン戦争が終結したことである。1979年に始まって、1989年にほぼ終了したことで、パキスタンのアメリカに対する意味がなくなったと言える。こういったアメリカとパキスタンの関係の変化とほぼきびすを接するようにして起きているのが、アメリカのインド重視である。この点についてエポックメーキングなのは1991年の4月である。ここでキッカイカー陸軍中将が訪印し両国の間の軍事運営委員会を開き、さらに翌年になるとこれを延長した形で、インド、米海軍が合同演習を行った。そのあと、1994年5月のラオ首相訪米、あるいは今年の1月の国防長官の訪印と進んでいる。

 次に、SAARC(South Asian Association for Regional Cooperation)の問題についてだが、これは1985年に結成されたが、動き始まったのは1970年代の後半である。現在は経済協力関係が一つの狙いだが、もともとは安全保障である。SAARCを安全保障体制にするということについては、インドが強く反対した。最終的に妥協が成立して、安全保障問題の代わりに地域協力組織にし、経済問題を中心にした地域協力組織にするという方針の変更になって、ようやく1985年に発足した。SAARCは、今年の5月で第8回の首脳会議を開催するまでになった。この会議が持つ大きな意味は、この首脳会議において南アジア特恵貿易協定(SAPTA)をつくろうということが決定されたことにある。今のところ、今年の12月8日、SAARCが出来てから10周年の時にこれが発足して長年の眼目だった経済関係が動き出す。このSAARCの動きということについて注目しておく必要がある。

日本と南アジアの関係

 日本と南アジア、あるいは日本とインドの関係というのは少なくとも80年代までについては、ほとんどなかった。しかし、1991年7月にラオ政権が経済自由化を打ち出したことによって、南アジア、特にインドに対する日本の関心というのは急速に増大している。現実問題として対印貿易、特に投資については急速な伸びを示している。つまり、南アジアへの関心というのは、日本の、特に企業からの関心というのが非常に増えているということがある。

 もう一つ大きな特徴は、90年代に入ってからの、インドあるいは南アジアに対する日本側の政治的な関与がある。それを象徴したのが、1994年11月である。核問題をめぐって2(インド、パキスタン)プラス5(安保理5カ国)で、南アジアの安全保障体制、あるいは南アジアも非核会議をつくろうということが従来から言われてきたが、去年の11月あたりから、これに2プラス5プラス2、つまりドイツと日本を入れようということで、9カ国による非核会議構想というものが打ち出されている。これは、従来の日本と南アジアの関係では画期的と言っていい政治問題にコミットした最初という印象を受ける。

 当然これに関連して、印パに対する核拡散防止条約に対する参加ということも出ている。もう一つは、今年1月に橋本通 産大臣が行った。これは特に貿易、投資関係が従来とは比較にならない状況の中で、日印関係では大きな出来事であろう。

 インド洋というのは、日本にとっての最大関心事の一つである。これは一応、石油という問題が背景にあろう。南アジアの政治的な安定がインド洋の安定につながる。そういった南アジアとインド洋の関係ということがあると考えることが出来る。

 ポスト冷戦期の南アジアにおける国際関係の新しい展開において、日本から南アジアを見るときに、政治と経済のミックスという視点によって何か考える必要があるというのが暫定的な結論になる。

・これは、第5回「冷戦後の世界と日本の安全保障改革のシナリオ」研究委員会の報告をもとに事務局がまとめたものである。

 

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