2000年4号

行政工学のすすめ

 国相互の制度競争が厳しくなる中、制度設計のための行政工学を切磋琢磨した国が次代の繁栄を約束される

 「市場の失敗」がよく云々される。だが、市場の失敗のほとんどは、実は市場の失敗ではなく、「制度の失敗」である。市場の失敗としてよくあげられる環境問題を例にとってみよう。

 「市場に委ねる」というのは、国民ひとりひとりの主体的な選択に任せるのと同義である。仮に国民の全員が一致して環境保護が大事だと判断しているとしても、環境保護にインセンティブが与えられるような制度を用意せずに、環境問題の解決を市場に委ねたところで、良い結果 を得ることは難しい。なんとなれば、環境保護に伴うコストの負担が競争上不利になる以上、制度的な担保がなされていない状況では、抜け駆けしてコスト負担をしない者がでてくる可能性があり、そうした疑心暗鬼の下では、誰も環境保護コストの負担などしたがらないのが自然だからである。きちんとした制度を準備せずに、道徳的説得で問題解決を図ろうとしても、おとなしく従った正直者だけが馬鹿をみる結果 になりかねない。すべての者が環境保護を望んでいるにもかかわらず、その方向に市場の選択が向かわないのは、この場合、市場の機能に問題があるからではなく、環境保護にインセンティブが与えられるような制度が市場にビルト・インされていないためである。

 制度いかんで市場のパフォーマンスが変わるとすれば、良好なパフォーマンスが得られるように、制度を改革すべきと考えるのが至当であろう。市場における制度の重要性は、アダム・スミスの昔から認識されてきた。だが、ハーヴィッツのような少数の例外を除き、経済学者の多くが制度設計に対して懐疑的態度をとってきたのは、むしろ不思議でさえある。慣行のような自生的な制度を別 にすれば、多くの制度が法令や企業の社内規則などのように意図的に策定されてきたにもかかわらずである。どっちみち、法令等によって、人間社会の従うべきルールを予め用意しなければならないとしたら、社会・組織から個人レベルに至るまでの、インセンティブの連鎖を十分に検討してから、用意すべきではないか。

 勿論、実際の経済の中で、ある経済現象が何に起因するのかを判別し、それに対して、どのようなインセンティブを賦与する制度的対策が有効なのかを処方するのは、一般 的に容易なことではない。(例えば、バブルの発生が情報の不足によるのか、それとも他の要因によるのか、バブル発生をある種の規制によって回避できるのかどうか、等を実際のバブル現象の中から見てとるのは難しい。)だが、今日では、ゲーム理論、オークション理論などの理論の発達に伴い、従来自然科学の分野でのみ可能とされてきた実験が経済学の世界でも可能になり、その手法を制度設計に活用することができるようになりつつある。昨今流行の「金融工学」になぞらえていえば、いわば「行政工学」あるいは「制度工学」ともいうべき新種の工学の誕生のとき、今迎えているように思う。

 逆説的ではあるが、規制緩和がすすみ、社会的な意思決定が政府ではなく、市場に委ねられるようになればなるほど、市場の制度設計が、政府にとって重要な仕事となろう。個人や企業のレベルでどんなに頑張ろうとしても、国の制度体系が非効率や不公正を生むように少しでも動機づけているようであれば、そうした努力は結実しない。航空機や大規模橋梁の設計には、当然のごとく最新の理論と実験が用いられる。同様に、制度設計に当たっても、その細部にわたってできる限りよいものができるよう、最新の理論と実験が駆使されるべきである。今やそういう時代に入っているように思う。

 グローバル化が進み、企業が国を選ぶ時代である。ならば、国を選べない政府と国民は、よい制度をつくるしかない。これからの国際競争は、各国間の制度競争の側面 をますます露にしてゆくことが予想される。行政工学の進歩を期して、日本の新たな発展を望みたいものである。

▲先頭へ